「ご両親、お堅いお仕事ですね」と、学生の頃バイトの採用担当者に浴びせられた冷笑が今でも私の心に突き刺さっている。
履歴書に書いたのは典型的な一人っ子、過保護な家庭の一人娘として『頭が良くなる』よう育てられた『普通』で『良い子』な私だ。裏を返せばつまらなく平凡で、大嫌いな自分の就職活動の話を、少し聞いてほしい。あまり気持ちの良い内容ではないけれど。
過保護な母によって、私は強制的に公務員専門予備校に入れられた
「大学なんてどこに入っても同じ、働き始めたら大学名を聞かれることなんてまずない」と父は言った。「どうせどこでも同じなら、有名な名前の学校に行かせたかった」と母は泣いた。堂々巡りの喧嘩が毎晩のように続く。これが未就学児の親ならまだしも、二十歳を前にした子を持つ過保護な親たちの会話だった。
受験に失敗し、志望校からランクを2つほど下げた大学へ進んだ2年目の春、母によって強制的に公務員専門予備校に入れられた私は、必然的に将来の就職先が『公務員』一択になってしまった。
誤解を生まないよう先に訂正しておくと、現在公務員として働いている人たちを馬鹿にしている訳じゃない。国や自治体などのために様々な意見に対し、丁寧に取り組んでいる職員の方の姿勢は大人として見習うべきだし、純粋に凄いと思う。
その上で、私は『公務員を目指す自分』が好きになれなかった。理由は母に押し付けられた将来だから。
だが 、自分でやりたい『普通』の仕事も当時はなかった。思い浮かぶのは声優、画家、モデル、舞台女優……母が嫌いな『普通じゃない』職種ばかり。身内に芸能関係者がいるわけでもなく、ダンスや演技経験も皆無だった私は仕方なく腹を決め、公務員試験に全力で打ち込むことにした。
国家公務員試験には面接で落ち、私は地方公務員として職員になった
説明会を聞いていく中で、ようやく私にも『この内容ならやってみたい、働いてみたい』と思える職種が現れる。国家公務員だ。偏差値や仕事の内容がトップレベルで難しいと言っても過言ではない。
だが合格すれば、親の小言から、呪いのような過保護生活からやっと解放されると。夢の社会人生活に、私の心はつかの間踊っていた。
が、現実と受験戦争は甘くない。結果はダメだった。国家公務員には面接で落ち、私は地方公務員としてとある自治体の職員になった。実家から通勤できてしまう距離だったため、未だに母の呪いの中で暮らしている。夢だった一人暮らしも無に帰した。「公務員になれるなんて恵まれている」と合格祝いを述べてくる親族たちには無神経さを感じたものだ。
繰り返しになるが、公務員という職そのものに何も非はない。公務員になっている自分が嫌いなのだ。試験勉強中『せめて地元の役所だけには行きたくない』という一心でモチベーションを保ってきたことも仇になった。
もう一度、就職活動をやり直したい。けれど母は首を縦には振らなかった
市民に失礼なことは百も承知だが、取り繕った笑顔で入庁し、真面目な職員を演じて数年、ある日私は母に打ち明けた。『もう一度、就職活動をやり直したい』と、夜中に泣きじゃくって土下座までした。
でもダメだった、母は首を縦には振らなかった。
きっとこれからも、私は母の望み通り『いい子』を演じていく。煙草もピアスもバンド活動も、母が嫌いな代名詞はいつもこっそり隠れてするだけ。
公務員、という傍から見れば恵まれた環境をどうすれば受け入れられるんだろう。時が解決するかもしれない、でもそれは今じゃない。『本気になれば』と人は言う。確かにその気があれば、辞表を出し転職サイトに登録して一人巣立つことも容易だろう。
だけど出来ない。今まで育ててもらった恩や、私が公務員を辞めた後の家庭崩壊を考えると、一歩を踏み出せない自分がいる。
私が働く理由、それは『母のため』。
でも、それ以外の理由が見つかる日を、本当にやりたい仕事ができる日を。子供の頃からずっと祈っている。