「普通に常識があればそれでいいかな」
大学3年の12月。忘年会を兼ねた飲み会で、そこまで強くもないカルーアミルクを片手に彼女はそう言った。
そりゃそうだ。自分だって容姿が完璧に整ったクズは嫌だ。
でも、彼女にとってのそれは果たしてどのようなものなのか。自分が思うに、常識は育った環境によって形づくられるもので、この日本社会に蔓延る「普通」とは一味違う。
だから期待していた。この子の瞳に自分はどう映っているのだろう。少なくともこの同じ空間に居るということは、興味は持たれている。それがどういった興味かは軽く想像できるが。
彼女は「高嶺の花」と呼ばれるような存在。声をかけてくれて嬉しかった
ところで、自分は人付き合いがどうも苦手らしく、なかなか「群れ」の一員になるのに抵抗がある。それでもこの飲みの席に参加したのはもちろん彼女が来るから。
丁寧に手入れされた長い髪の毛に、斜め後ろから見える天使のような横顔。日本人女性の平均身長を優に下回る小さな体で大口を開けて豪快に笑うそのギャップに虜になった。
彼女はいわば「高嶺の花」と呼ばれるような存在だった。異性にはなかなかあたりがキツく、同性には母のような優しさを見せる。きっと厳しく育てられたのだろう、見た目に劣らず、しっかりとした人で、完璧としか言いようがなかった。
そんな彼女との出会いはこの飲み会の数か月前。火曜日の朝イチ、100人を超える大学の授業で強制的に組まされたグループのメンバーに彼女はいた。数千円もするバカ高いくせに薄い教科書を抱えながら、自分の横に腰をかけると「よろしくね」とぎこちなく微笑んだ。
後々聞くと、彼女は人見知りで、仲良くなるまでに時間がかかるらしい。初対面の決まり文句であろうが、勇気を振り絞って自分に声をかけてくれた事が嬉しかった。
それからというもの、毎週火曜は必然的に言葉を交わすようになった。週を重ねていくごとに冗談を言い合う回数が増え、自然と笑いが生まれるまでに関係が深まった。
しかしそれは自分だけではなく、ほかのグループメンバーにも言えることだった。
起爆スイッチは決まって彼女の大きな笑い声
授業も終わりに近づき、特に理由を必要ともせずに会えていた時間が残り数回を切った頃、友人から、彼女も参加するという飲み会に誘われた。迷うことなく行くことを伝えると、開催日時を決めるから、とチャットのグループに入るよう促された。
数日後、飲み会の開催が確定されてから訪れた火曜日の授業でも、彼女は自分の横に腰を掛け、きらきらとしたその瞳で自分をまっすぐに見つめ大きな口を開いた。
「ねぇねぇ、飲み会来る?」
「うん。今年最後だしね」
「楽しみだね。私お酒好きだからいつも飲みすぎちゃってグデングデンになっちゃうんだ」
「そうなったら、水たくさん持って行ってあげるよ」
「はははっ、ありがとう! じゃあ私も持って行ってあげるね」
ふとした瞬間に見せられるこの隙が、自分にとっては爆弾だった。起爆スイッチは決まって彼女の大きな笑い声。心臓がいくつあっても足りないというのはこのことだ。
ここまでの関係を築けたのは自分が「女」だからだった
飲み会当日。指定された時間丁度に行ったのにそこは既に盛り上がり始めていた。目当ての彼女は案の定とっくに席についていて、周りに自分が座れる席はなく、ぎりぎり彼女の声が届く範囲の席に渋々落ち着く。そして少しの希望を込めて、普段は飲まない「スクリュードライバー」を頼んだ。
結局彼女と話せたのは飲み会終わりの帰り道。わざわざ自分のところに来て話しかけてくれた。夜中なのも相まって、彼女の心地いいその声はいつもより色っぽく聞こえる。
「楽しめた? あんまり話せなかったね」
「うん。ありがとう」
「なにが?」
「話しかけてくれて」
「あぁ! なんで? せっかく仲良くなったのに話さないのもったいないじゃん。それに、私女の子といる方が落ち着くし。男の子といるとなんか緊張しちゃうんだよね」
その一言で思い出す。
彼女と自分がここまでの関係を築けたのは自分が「女」だからだという事を。
常識のある人が好きといった彼女は、まるで恋に恋をしているような甘い雰囲気に包まれていた。きっと彼女の恋人になる人は背が高く、顔が整っていて、そして大切に愛してくれるような、そんなかっこいい男性なんだろう。
考えただけでも泣けてくる。
出来ることなら、あの声も、笑顔も、体も全部自分のものにしたかった。
21年目の冬、私は彼女の、いや自分が思う彼女の常識にふられた。