「すべての仕事は売春である」とジャン=リュック・ゴダールは言った。わたしもそう思う。少なからず、体を犠牲にして賃金を得ている。1日8時間はPCとにらめっこ。働き始めてから、視力は落ちた。1日7時間は座りっぱなし。働き始めてから、腰まわりに肉がついた。少しも春をひさがなくていい仕事なんて、ないと思う。
わたしの父は、朝7時から0時すぎまで働く人だった。どこにいようと呼ばれればすぐ出勤。時間や思想までもが拘束されているような働きぶりをそばで見ていて、わたしは「働きたい」なんて一度も思えず大人になった。就職活動をするわたしに父がかけた、ただひとことは「仕事はつらいものだ」だった。
なにかを感じることは求められていなくて、ただ要件通りに働くことだけを求められるのかと思うと、働くのが嫌でしかたなかった。わたしでいる意味、わたしが生きる意味はないんだと思った。季節が変わって風がやわらかくなったなあとか、友人が引っ越してしまってさみしいなあとか、そういうのは全部、働くには無駄で切り捨てないといけないことだと思っていた。
実際社会人1年目は、落ち込むと仕事にならないから、好きだった本や映画も観るのをやめた。生活のために働いているはずなのに、賃金は得られたのに、だんだんうまく生活できなくなった。毎晩、明日も働けるかな…と不安に思いながら眠りについた。
わたしのままで働いてもいい。気づいてから働くことにポジティブに
「わたしのままで働いてもいいんだ」と気がついたのは、今の仕事に就いてから。そんな仕事がきっとあると、心のどこかであきらめられずに探して、やっと見つけた絵本の編集職。足並みそろえて、新卒就職活動の時期ぴったりには見つけられなかったけど。
心が動いてひらめいて、企画が立つ。春がくるよろこびや、いろいろな気持ちを知って、よりぴったりの絵や文が見つけられる。経験したことや感じたこと、すべてを生かしていい。どんどん気持ちを動かしていい。わたしのままで働いていい。気付いてから、心を尽くして働けるようになった。一生懸命働いたら、読者の子どもたちから手紙が届いた。覚えたてのひらがなで書いてあったのは「おもしろかった」とか「えほんつくってくれてありがとう」とか。
「すべての労働は売春である」と今でも思う。労働しなくても生きていけるのであれば、家でだらだら本を読んでいたほうが楽だ。でも、一度子どもたちから手紙をもらったら、一度仕事に自分を肯定してもらったら。意味があるなと思ってしまう。
わたしの仕事は誰かにとって意味がある。意味があるって命綱だ
生きていると、「わたしの人生って意味ないなあ」と思う時がある。特に大人になってしまえば、幼い頃のように生きているだけでかわいがられたり、したことを逐一褒められたりすることもないわけだし。でも、人生に意味はなくても、わたしの仕事は誰かにとって意味がある。視力が落ちても、体型が崩れても、意味はある。意味があるって、命綱だなと思う。
ジャン=リュック・ゴダールの言葉「すべての労働は売春である」は、岡崎京子『pink』のあとがきに載っていた。岡崎京子は続ける。「そしてすべての仕事は愛でもあります。愛。愛ね。」なにもかもが完璧で満たされている桃色の愛ではなくて、寝不足でぼろぼろの愛だけど、わたしもそう思う。本を作る時、願っている。「子どもたちが健やかに育っていきますように」と。
「おもしろかった」って、込めたおもしろさが伝わってすごくうれしいよ。「えほんつくってくれてありがとう」ってわたしがありがとうを言いたいよ。ただ生活していたら会わない遠くにいる人に、わたしがしたことを肯定してもらえるなんて、働いてなければ、きっとなかった。
自分のために働いて、誰かのためになって、やっぱり最後は自分のためになる。心を尽くして働いてみて、やっとわかったこと。だから、わたしは明日も働ける。