我が家の大黒柱は母親だった。川崎市内の小さな家を安く借りて、母親のパート代と祖父母の家から送られてくる衣類、食料品類でなんとかしのぐ。父母娘の3人家族だが、1990年代には珍しい“父親は家にいて母親が稼ぎに出る家庭”。それが私の幼少期で、生まれてから学生時代に至るまでお金がない不自由さを感じて育った。

そもそもお金をどのように得たいか、そしてどのように使いたいか

そんな私が働く理由なんて、ただ一つ。安定した収入を得るために決まっている。お金があれば、たくさんのお菓子を買ってもらえたかも。小学校の友達が住むようなきれいな家に住めたかも。予備校に通えたかも。アルバイトをしながらでも、憧れていた東京の大学に行けたかも…。お金の先に私がなりたかった状態・選べなかった人生を夢見て育ってきた。
お金がないことは選択肢を狭めること。「お金と愛情どちらが大事?」という質問をみるけれど、正直私ならお金と即答する。幼少期の自分では届かなかった憧れや贅沢のために、今日もだるいなあと思いつつ苦手な早起きをして会社にいく。 

とはいえ、ただただお金を稼ぐことだけを考えていると夢がないし心がすさんでしまう。私は就活の中でも「安定してお金を稼げること」を重視していて、「そもそもお金をどのように得たいか、そしてどのように使いたいか」までは考えてこなかった。
極端な例ではあるが、10万円入った封筒が2袋あって、かたや詐欺で得たもの、もう一つはやりたかった仕事で得たものだったら、価値こそ変わらないが10万円が生活に起こす作用は異なってくると思う。
このような“お金の質”までは考えてこなかった私に、「お金をどう使うか」のひとつの答えを提示してくれた出来事があった。アクセサリーをつけない私が、ちょっと良い指輪を購入したのである。

2020年、社会人5年目の私は上司との関係がうまくいかず仕事に行き詰まりを感じていた。状況を打破したくてもどうしたらいいかはわからず、次第に何か「お守り」が欲しいと思うようになっていた。自分に自信を持たせてくれるような、いつもそばにおいておける「お守り」。

そんなある日、大学時代からの友人に「素敵な天然石のアクセサリー屋さんがあるの。名古屋にあるアトリエにいって、スタッフさんと相談しながら石を選んで作るんだけど」と誘われた。どんな商品があるのだろうとインスタグラムを見ると、飴玉のような石がつやつや、キラキラしている。見た瞬間、小学生時代に百科事典「宝石」のページを飽きもせず毎日眺めていた時と同じときめきを感じた。買うとか買わないとかは頭からすっぽぬけていたけれど行きたい! と即答した。

お金の使い方は、心の豊かさ・満たされ具合に強く関わっている

数週間後に訪れたアトリエは窓から柔らかい光が差し込んでくるやさしい空間だった。木張りの床の上には天然石の入ったショーケースがでんと据えられ、クラックの入り方や色の濃さが違う大小さまざま個性豊かな石たちがそろっていた。接客してくれた店員さんは天然石のバイヤーも兼ねているようで、目の前にいる一人ひとりの個性と石の個性に丁寧に向き合って商品選びを手伝っていた。

インスタグラムで見ていたような大ぶりの石がついた商品ばかりかと思っていたら、米粒よりも小さい誕生石が付いたピンキーリングもあった。あ、これだ。これなら会社にも着けていけるし、これを「お守り」にしたい。その後、一つずつ輝きや色の深さが違うからと、直径2㎜ほどの石選びにも関わらず店員さんは私から好みを聞き出して何粒かセレクトしたうえで選ばせてくれた。

指輪は一つ一つ手作りのため3か月たってからやってきた。つけていると自分の相棒のようで、その後の生活では不安な時に小指に光る魔法の輪っかが私を守ってくれているようだった。偶然だろうけれど、少しずつ仕事も順調に進められるようになり「お守り」の効果は絶大だった。おそらく、購入した指輪がRPGの装備品のように私の防御力をあげてくれたのだと思うけれど。

このお店との出会いで、ただ生活のために漫然と消費をするのではなく、お金をどう使うかは自分の心の豊かさ・満たされ具合に強く関わっていると感じた。人によって何に価値を感じるかは違うだろうけれど、「どのようにお金を使いたいか」と聞かれたら私の場合は「自分の周りを素敵だと感じられるモノ・コトで満たすために使う」と答える。
実体のあるものを購入すれば宝物が増えていくし、時間などの実体のないものや消費財(入浴剤やアロマオイルなど)に使えば自分をより大事にできる空間を手に入れられるからだ。

お金を稼ぐ時により自分が生き生きとしているにはどうしたらいいか

その一方で、社会人6年目を目前にして私はまだ「働く理由であるお金をどう稼ぎたいか」に対する答えを見つけられていない。就活では業界をしぼりこまず「人々の生活における当たり前を支えること」を軸にして業界を横断するようにエントリーした。
幸いにも第一希望だったインフラ会社に就職して、人々が当たり前に生活をおくるための下支えをしている。ただ、このまま一生この会社にいていいのか? と考えはじめると、何のスキルも実績もなく歳を重ねて、社会からお荷物扱いされることを想像して怖くなる。

大学の同期が転職したとか、大きなプロジェクトに参画したとかいう話を耳にすると、自分も転職しなくていいのか? そもそも転職できるような力があるのか? と疑問に思う。
具体的にこれになりたいというアツさもないし自己分析も不十分なのに、30歳を目前にした私は自分をつまらない人間にしたくなくて、若さにあふれた歌詞の応援歌を聞いては、なりたい自分を引き寄せられそうな資格取得のために勉強している。不安を消すには行動するしかない、と言い聞かせて。

私が働く理由は「自分で稼いだお金で、自分の周りを素敵だと感じられるモノ・コトでいっぱいにするため」だ。そしてせっかくならこれからは、「そのお金を稼ぐ時により自分が生き生きとしているにはどうしたらいいか」も考えていきたい。だってまだまだ何十年先も、私は働いていくのだから。

これは「お金を稼ぐため」という働く理由をもう一歩深掘りできていなかった社会人5年目の私の、ちょっとした決意表明でもある。