ふった側と、ふられた側。
どちらの方がより辛いと思うか。
そう聞かれたら多くの人は、「ふられた側」と答えるのではないだろうか。

私もそう思う。
というかまず、私は誰かをふったことがない。
ふられたことは、あるけれど。

「あなたは誰のこともふったことがないから、そのくせふられた経験だけはあるから、ふられた側の方が辛いと思っているんでしょう」と言われてしまうかもしれない。

でも、とても好きだった人にふられたとき、私は本当に、本当に、辛かったのだ。
まるで、世界から色が失われるみたいな感覚。
そして毎朝起きるたび、彼が誰のことも選ばなかったのではなく、ただ自分が選ばれなかっただけなのだ、という当たり前かつ残酷な事実を突きつけられる。ふられてからしばらくは、ずっとそんな日々だった。

「君といると楽しい」と言ったのにふった理由は「彼女がいるから」

あの頃私たちは毎日のように電話していて、普段他人に話さないような色々な話をたくさんしていた。「君と話してると楽しい」というようなことを何度も言ってくれたし、「なんでそこまで信頼してくれるの?」と聞きたくなるほど私に心を開いているように見えた。
2人で好きなバンドのライブに行く約束もした。

にもかかわらず、私が彼にふられた理由は、「実は3年付き合っている彼女がいるから」というごくシンプルなものだった。
"実は"という所がポイントで、私はその人に彼女がいるのかどうか常々聞いていたにもかかわらず、「いないよ」と嘘をつかれていたということなのである。
なぜ嘘をついていたのかと聞くと、「彼女の方に事情があって、自分たちの関係は隠していてほしい、それでもいいなら付き合ってもいいと言われた」という答えが返ってきた。

3年も付き合っている彼女に、ポッと出の私が太刀打ちできるはずもなかったけれど、客観的に見ても私の方が良い女だったと思う。
私はその彼女のことをよく知らないしあまり悪く言いたくないけれど、容姿も、性格も、仕事も、おそらく何一つ負けていない。

彼女にあって、私にないものを必死で探したけど、そんなものはどこにも見当たらない

彼女にあって、私にないもの。
それが何なのか、私は必死で探したけれど、結局そんなものはどこにも見当たらなかった。

逆に、私に何かが欠けていたのかもしれない。
では欠けていたものは何か。私の何が足りなかったのか。
心のどこかで、そういう問題じゃないことはよくわかっていたけれど、私はそれが知りたかった。

何かが「足りない」と言ってもらった方が、楽なのだ。足りないところは、直せばいい。埋めればいい。
そうすれば彼と付き合えなかったとしても、少しすっきりするし、得るものがある。
でも彼は最後まで、私に何かが「足りない」とは言わなかった。それがすごく、哀しかった。
「何も足りなくない」ってことは、彼がこれ以上私に求めるものがないってことで、彼とこれ以上深い関係になる術がないってことだから。
「何も足りなくない」は希望じゃなくて、絶望だ。

もし誰かをふることがあったら「何も足りなくない」は言いたくない

だから、これから私が誰かをふらなければいけないような状況になったら、「何も足りなくない」とは言いたくない。
でも、本当に何も足りなくない場合や、相手に中途半端な希望を与えたくない場合は、やっぱりそう言うしかないのかもしれない。

恋愛って、難しい。面倒くさい。そして、とても苦しい。
だから時々、全力で逃げたくなる。
でもいつか、いつかは、素敵な人に出会えると信じたい。
そのために、とりあえず好きなバンドのライブは1人で行こうと思う。
もう叶うことのない約束は深い海へと沈めて、私は今日も生きていく。