小学生くらいの頃に流行ったプロフィール帳に、好きなものを書く欄がたくさんあった。一見簡単な質問だけれど、私にとってそれは決して簡単なものではなく、なかなか答えを埋められなかった。自分の「好き」という感情を見つけ出すのはなかなか難しい。何事においてもだ。自分の好きなものを堂々と語れる人が羨ましかった。地球上にある全てのものを知っているわけでもないのに、どうして人はそれが好きだとわかったり、自分に合っていると判断できるんだろう、とずっと不思議でならなかった。
高校生の時に出会った映画で、恋って、なんて素敵なんだろうと思った
26歳になって、さすがにいくつかは埋められるようにはなった。食べ物ならすいかと明太子。勉強科目なら日本史が一番。天気の良い日は音楽を聴きながら散歩したり、電車の中や公園で本を読むのも大好きだ。本はイギリスの児童文学や、紀行文や自叙伝が特にお気に入り。他にも色々好きなものは紹介することができる。でも「好きな人」の欄だけは、まだ埋められずにいる。
高校生の時、ある映画に出会った。「ミス・ポター」という映画だ。ピーターラビットの作者のビアトリクス・ポターの伝記的映画で、1900年初頭のイギリスの人々の生活の様子を垣間見られるし、フェミニズムについても取り扱っているらしく、女性の結婚や職業についても考えさせられる。私の大好きな映画の一本だ。
この映画の中にずっと忘れられない、特別好きなシーンがある。ビアトリクスは生涯結婚しないと明言していたのだが、出版社の担当者であるノーマン・ウォーンに、クリスマスパーティーの日に突然プロポーズされる。彼女は同席していたノーマンの姉に相談すると、彼女はビアトリクスに「You have a chance to be loved.(あなたは愛されるチャンスがあるのよ)」と背中を押し、ビアトリクスは帰り際、ノーマンに「Yes」と伝える。その瞬間ノーマンが一瞬、泣きそうな顔をするのだ。その表情がなんとも切なく、色んな感情が想像できて、見ているこちらも堪らなくなる。恋って、なんて素敵なんだろうと思った。
初めての恋の予感があんな風に消滅して、とても悲しかった
大学生になってすぐ、ある男性の先輩と仲良しになった。最初は面白いなと思って懐いていたのだが、ある日突然彼からお誘いの連絡が来て、何か始まりそうな気配にウキウキした。しかし私の彼への気持ちがわからないでグダグダしてるうちに、うんと可愛い同級生と付き合い始めたと知り、連絡もぱったりと途絶えてしまった。肩透かしを食らったような気持ちだった。
その時私が悲しかったのは、私の好きの気持ちが育たないうちに、先輩が違う方を向いてしまったことだった。私の魅力も足りなかったのかもしれないが、初めての恋の予感があんな風に消滅してしまったことがとても悲しかった。恋って、難しい。
例えば恋愛バラエティ番組は定期的に流行っているけれど、私はどうしても出演者の気持ちを理解できない。出会って間もない男女が、まだお互いのことをそんなに知っているはずがないのに、惚れた腫れたと告白したり他の子と取り合ったりするのが、見ていて非常に違和感が多く、そこに私の理想とする恋愛のかたちが見当たらないのだ。
「生まれてきてくれて、ありがとう」と思える人を、探したい
「生まれてきてくれて、ありがとう」と思ってくれる人が、今の私にはいるだろうかと、ふと考えたことがあった。誰も思い浮かばなかった。肉親でもない人が、そんなことを思ってくれるなんて奇跡だ。まさしくそれが、愛というものなのだろう。でも私は、「生まれてきてくれて、ありがとう」と思える人を探したいな、と思った。
私はこれからまたたくさんのものに出合って、色んなお気に入りを見つけていくだろう。きっとその度に私のプロフィール帳の空欄は埋まっていき、年齢とともに変化して書き換えることもあるかも知れない。そしていつの日か「好きな人」の欄を埋められる日がくるのを、楽しみにしていたい。