高校時代、かなり個性的な人が集まるような高校に通っていました。自分のスタイルを隠さず、相手も否定しないような自由な校風でした。周りの個性が強い中で、私は、何か頭一つでるような才能もない代わりに、なんでも普通ぐらいできるし、顔もいろんな人から「遠い親戚にいそうなタイプ」と言われるような特徴のなさで、「自分って普通だな」ということを痛感させられました。

専門性でとがった人が、本当にうらやましかった。キラキラして見えた

どこにでもいるタイプだからこそ、ここで生きていくという場所をずっと決めかねていました。何か一つのことにパラメーターが全振りして他は全部0ぐらい、専門性でとがった人が本当にうらやましかった。なんでそんなに頑張れるんだろうと思うぐらい、信念をもって自分がやりたいことをやっていて、キラキラして見えていました。

 大学に入って、私服なのにみんな同じような恰好をしていたり、なんとか共通点を見つけて友達の輪を作ろうとしているのを見て、「普通がマジョリティ」ということに衝撃を受けました。むしろ、みんな「普通になろう」「他の人と合わせよう」と意識しているのかと思うぐらいでした。安心すると同時に、「なんかつまんないな」と思いました。高校で出会った個性的な人たちから、知らず知らずのうちに自分がたくさんエネルギーをもらって、行動のモチベーションになっていたことに気づきました。

演劇サークルの新歓公演を覗いて。意思は伝わり、ワクワクした

 エネルギーが枯渇しそうになった時に、たまたま演劇サークルの新歓公演のチラシをもらって覗きに行きました。演技もみんな自分のクセが強くて統一感はあるとは言いにくく、脚本も作者の願望が駄々洩れだったのですが、意思はすごく伝わってきて、ワクワクしたのを覚えています。次の週には入団していました。

 サークルに入ってしばらくたったある日、座組の役者がそろわないという相談を受けました。面白いのに実現されないのはもったいないなと思い、「うちのサークルじゃないけど隣のサークルの○○君は?脚本の作風に合うと思うけど」と知り合いを紹介しました。この時紹介した人は、その後その人の作品に欠かせない役者になりました。サークルに入って、たくさん面白い人たちに出会い、たくさんの面白い脚本の構想を聞きましたが、全部が全部実現されることもなく、実現に至らなかった構想もたくさんあります。この件は本当に簡単なやりとりでしたが、そういう小さなきっかけを作ることでもアイデアの実現をサポートできることもあるんだと思いました。

自分のワクワク感を大事に、誰かのユニークなアイデアを実現したい

こういった体験を積み重ねる中で、私は自分からアイデアを出すのが向いていない分、面白い人やその人が持っているワクワクするアイデアサポートし、世の中との接点を広げていけるような人になりたいと思うようになりました。

 私は今、リサーチャーとして商品開発をサポートする仕事をしています。マーケターの着眼をもとに作られたアイデアの実現に向けた戦略作りをサポートし、市場に投入するのがミッションです。一緒に仕事をする人にとって、出会っていたのが自分じゃなくてもよかったかもしれないけど、自分と出会えてよかったと思ってもらえたらいいなと思っています。
これからも誰かのユニークなアイデアに対して自分が純粋に感じたワクワク感を大事に、そのアイデアを実現し、多くの人に届ける仕事をしていきたいです。