プロにならないか。
専門の教育も受けていない私からしたら、思いもよらぬ提案だった。しかもその道で成功している、実力も折り紙つきの人からだ。憧れでもあるその人からなぜ私に声がかけられたのか、不思議だった。
君なら上も狙えると言われた。好きなことを仕事にできることは嬉しかったけれど、その時私は自分の限界も感じていた。
練習すれば、研鑽を積めば、きっとまだまだ上には行ける。それを見越しての提案だ。でも、大きな圧力の中で、できることも限られる中で、そんなことができる気はしなかった。私自身はもう限界を迎えていた。
ここまで自分なり、できるなりではあるが全力でやってきたのだ。自分のキャパはわかっている。これ以上はない。
そんな私に、限界なんて決めつけに過ぎないという言葉が刺さる。とっとと諦めさせて欲しいのに。

お願いだからもう、プロ入りなんて諦めさせて欲しいのに

仕事より、彼氏と一緒に平穏無事な生活を送りたい。
そう思ったけれど、「女性でここまでできるのは稀」という言葉に引きずられた。続けたくても続けられない女性がたくさんいる。それに今まで助けてくれた人たちを思うと、ここで降りることはずるいことのように感じた。
それでもここまで私によくしてくれた人たちは皆、私が降りることを勧めてくれた。私が私の幸せを優先することを勧めてくれた。それなのに私は、その他大勢の言葉に押し潰されて苦しんだ。
どちらが本当に私のことを考えてくれているかなんて、わざわざ考えるまでもないことだったのに。
結局私には、その他大勢なんかにも愛されたいという浅ましさがあったのかもしれない。

女だからできない。
そう言えたらどれだけ楽だったか。
残念ながらそうではないし、環境をどれだけ整えてもらえたって私の虚しさは埋まらなかった。
お願いだからもうプロ入りなんて諦めさせて欲しいのに、今からでも遅くないという言葉がよぎる。呪いのようだった。

なんで働くことが幸せだって決めつけるの? 性別のせいにするの?

私はそのことは得意な分、他のことがめっぽう苦手だった。
プロなんてさっぱり諦めて静かに暮らしたかったのに、表舞台に慣れてしまったのかそれも難しかった。
普通に生きているつもりで、やはり普通は私には少し物足りない。ほどほどで抑えて、普通の範囲内にいるつもりなのにできていない。

そんな私に、「地味な主婦に収まるつもり?」なんて余計なお世話だし、私はそういう地味な主婦こそ尊敬する。そうなりたいと思っている。実際、確固たる意志を持ってそうしている人にしか会ったことがないからだ。
巷には、女性が働くのはいいこと。自由に生きて何が悪い。という言葉が蔓延る。
なんでそっちばかり後押しされて、まじめに落ち着いて生きることが良しとされないのか。認められないのか。

無理やりにでも引き離してくれればよかったのに、彼氏は私の気持ちを尊重しようとする。そうして彼が、勝手に私の元を離れようとするのが一番怖い。

女性が働くのは良いことだと思う。女性が働きやすいのも大事なことだ。
でも、私をそこに加えないで欲しい。
皆が皆、一人前に働くことが幸せではないのだ。
なんで働くことが幸せだって決めつけるの?女性が働くことが苦しいっていうのを、なぜ性別のせいにするの?確かに女性ってだけで壁もあったけど、男性だって苦しいんだって。

本当に大事なものを大事にしたら、いらないものは勝手に落ちる

選ぶということは、他を捨てるということ。
働くことを選ぶということは、他の娯楽を削ること。
家庭を選ぶということは、働く楽しみや自由を削ること。
私はまだ、働く楽しみや自由を削ることが出来ていないのかな。
普通に生きることだって、私もやればできるはずなのに。

反対意見が呪いのように響くのは、私の中にもその芽があるから。
本当に大事なものを大事にしたら、いらないものは勝手に落ちる。
彼が勝手に離れようとしたのは、仕事(他の人)よりも、自分のことを大事にしてほしい。自分はこんなにもくじらのことを大切にしているのだから。という思いがあったからだ。その思いにいつまでも気がつかないバカな私だったからだ。
いい加減落ち着こう。彼と穏やかに過ごすこと。それが私にとって何よりの幸せなんだから。

それに、こっそり耳打ちされた。
世界がどう成り立っているのか。どういう仕組みがあるのか。
それを知った上で続けられるほど、私はタフではない。
そして同じ口から語られる、「できる女の人なんてたくさんいる。差別されるべきではない」という言葉の残酷さに寒気がした。それは確かにその通りなんだ。その通りなんだけど、あなたがそれを言うなよと。

ふと、「男は自分の家族と惚れた女以外はどうでもいいんだよ」という言葉を思い出した。そしてその惚れた女でさえ、二番手三番手の扱いは一番手とは比べ物にならないほど悪いことも見てきた。
この人にとってその言葉を向けた女性は、そして家族でもなんでもない私は、あんなに相談に乗ってくれていたにも関わらず、どうでもいい存在なんだろうな。

きっと私は意志が弱い上、周りを愛そうという気持ちを上手くコントロールできなかったのだ。いつの間にか周りのために動いていた。それは有り難がられることもあったが、だからこそもう働くなとも言われた。きっとその人なりの優しさだった。私が搾取されないための声かけだった。

女性の社会進出のためにと働くのも同じ理由だろう。しかしどちらも男性が多い仕事においては甘さに過ぎない。やはり私にこの仕事は向いていなかった。
もちろん場所によっては、この感性は大いに喜ばれる。人を慈しむ力だからだ。
「女性がいるから世界が成り立つ」「女性を尊重しない男ばかりだと国がダメになる」というようなことを語る男性がいた。女性はもっと堂々としていればいい。

そんな仕事に甘い私でもプロになる道はあった。
でも一流にはなれない。もう自分以外に大切なものがたくさんできて、全力でぶつかることができなくなってしまったからだ。
全身全霊の力でぶつかれないのなら、自分には表舞台に立つ資格はない。だからやめる。そんな最後の意地だけは貫き通したい。