幼なじみのあやちゃんに謝りたい。
小学校からの帰り道。他愛もない会話の中で、私は大切な友達に呪縛をかけていたことを知った。
「○○にスカートが似合わないって言われたから着てないんだよ。」
もちろん○○には私の名前が入る。えーって思った。私そんなこと言った?!って。
私が何気なく放ったひと言で、幼なじみはスカートを履かなくなっていた
正直、いつそんな言葉をかけたのか身に覚えがなさすぎた。
けれど、たしかにあやちゃんはずっとズボンを履いていた。最後にスカート姿を見たのがいつだったのか覚えてないぐらいに。
私たちは、幼稚園からの付き合いで、お互いのお家に遊びに行くほど仲が良かったけれど、タイプも違っていたから自分の些細な言葉に影響を受けているとは思いもしなかった。スポーツが得意だったから、動きやすい服装をしているんだと思っていた。
その時は深刻な雰囲気になるわけでもなく、すぐに次の話題に移ったけれど、未だにこのことを忘れられない。自分が何気なく放ったひと言が誰かの行動を制限してしまうというのは、とても怖いことだと思った。
『そんなつもりなかったのに。言ってくれればすぐ撤回したり、謝ったりしたのに。』
そんな風に思うのは傷つけた側の甘えなんだと思う。会話の雰囲気を壊したくないから流したけど、家に帰ってから思い出して嫌な思いをすることは私にもある。そういうのは少しずつ積み重なっていって、自分の自信やその子に対しての信頼を奪っていくのだ。
だから、言葉というのは気をつけなくてはいけない。傷つける意思がないのであれば、傷つかない言葉選びを。日々意識していかなければならない。
自分の価値観で、人の言動を否定することはとてもカッコ悪い
そもそも、人の言動を否定するのはよろしくない。当たり前だけれど。
最近はSNSやYoutubeで気軽に発信できる分、色んな人を見かける。LGBTQの人や障がいを持つ人、アイドルやアニメの熱狂的なファンなどなど。好きな格好をして、好きな人やものを語る人達はとても素敵だ。たしかにちょっと変わってるなと思うことはあるけれど、何かに一生懸命な人はキラキラと輝いてみえる。
そんな人達を自分の価値観で否定することは、とてもカッコ悪いこと。自分は興味がなくても、その人達を否定していいことにはならない。誰も嬉しくないことなんてやめて、いっそ褒めるべきなのだ。
みんなが好きなモノを好きだと言って、褒められる社会はきっと幸せに溢れている。
幼なじみへ。私の軽はずみな言動で選択肢を奪ってしまったこと、後悔しています
今はもうほとんど会うことはない幼なじみへ。
あの時は、ごめんね。当時の私は女の子っぽいものがあまり好きじゃなかったから、似合わないなんて言ってしまったんだと思う。軽はずみな言動で、選択肢の1つを奪ってしまったこと、とても後悔しています。
今、どんな服が好きですか?どんな趣味がありますか?インスタのフォロー申請が来た時は、ちょっとびっくりしました。DMが来た時は、さらに驚きました。
自分の写真をあげるタイプじゃないみたいだから、スカートを履いているかわからないけれど、願わくは、好きな服を着て人生を楽しんでいますように。
陰ながら幸せを願っています。