これまで28年の人生で一度だけ、ふられたことがある。
それは大学一年の冬。相手はサークルの同期だった。
18歳の私は中高一貫校の女子校育ちで、思春期以降の男など知らなかった。高校の同級生には彼氏持ちの子もいたけれど、私には異性と知り合うきっかけもなく、また、きっかけを作る勇気もなく、ただぼんやりと、恋に恋して生きていた。
大学は共学で、文学部に進学。学部内の女子の比率は高いとはいえ、普通に行動圏内に男子がいる。毎日仔ウサギのようにビクビク、ドキドキである。
高校の部活の延長のつもりで、絶対に女子が多いだろうと思って入った文学サークルは、7割が男子で驚いた。辟易したのは男子の下ネタである。会話の端々に「性」が登場する。免疫がなく、会話に乗れない私は、ただ顔を赤らめて苦笑いすることしかできなかった。
初めての恋に、舞い上がる日々。寝ても覚めても彼が頭から離れない
そんな時に現れたのが同期の彼だ。仮にRくんとする。
Rくんは九州から大学進学のために上京して来た塩顔のイケメンで、一浪しているから年齢は一つ上だった。
とにかく彼は優しくていい人だった。下ネタは言わないし、私の話に興味を持って聞いてくれた。私達はすぐにメールをやりとりするようになり、日常のほんの些細なことでも共有できるのが嬉しかった。
映画や展覧会も一緒に行くようになり、私はどんどん彼に惹かれていった。いわゆる初恋である。
初めて異性を好きになった私は、とにかく舞い上がっていた。
電車に乗っていても、講義を受けていても、お風呂に入っていても、Rくんのことばかり考えてしまう。大学に行けばどこかに彼の姿がないか、目を皿のようにして探す。サークルの部室には、彼に会うために行くようなものだ。
私と同じく、中学高校時代は異性に縁遠かった同級生達も、次第に恋の話に花を咲かせ始め、私もその例外ではなかった。口を開けばRくんの話ばかり、SNSでも「匂わせ」投稿ばかりしていた。
「私ふられたの?」根拠のない自信が粉々に。初めての失恋に帰って泣いた
こんなに仲良くしているし、私が好きなのだから、彼も私のことを好きに違いないと確信していた。考えてみれば、デートのお誘いもメールも私からばかりで向こうはいつも受け身だったのだから、思い上がりもいいところである。
その時は、そういう草食系なところも可愛いわ、などと自分に都合良く解釈していた。恋は盲目、とはこういうことを言う。
そして1月某日、私はついに彼を呼び出して告白したのであるが、あっさり玉砕した。
確か、「もっといい人がいるよ」的なことを言われたと記憶している。私には必ずOKしてもらえるという根拠のない自信があったので、わざわざ「私ふられたの?」と確認してしまった。
帰って泣いた。失恋で泣けるなんて貴重な経験してる!と思ったので、「失恋ソング」でググって、ポルノグラフィティのサウダージを聴きながら泣いた。結構強かな女である。
なぜふられたのか彼に尋ねてはいないが、たぶんしつこくしすぎたのだと思う。気持ちを押さえきれずにガンガン連絡したことが迷惑だったのだろう。
恋とは心のインフルエンザ。不可抗力でかかってしまうと熱に浮かされて
これは、男子に免疫のないおぼこ娘が、善意で優しくされてコロッと参ってしまった恥ずかしい話だ。
Rくんとはその後も友達付き合いを続けているので、まあまあ平和な話と言えるだろう。あのときは迷惑かけてごめんね…と、私には若干引け目があるのだが。
この経験を通して、私は自分の恋愛傾向を知った。
①関心を持たれた!と思うと好きになってしまう。
心理学用語で、「好意の返報性」というものがある。相手に好かれると自分も好きになる、という現象だが、私は相手が好きになってくれる以上に好きになってしまうようだ。
②執着心が強い。
あることに興味を持つと、それについて徹底的にリサーチする。変に記憶力が良いので些細なことでもよく覚えていたりする。一歩間違えばストーカーである。
私にとって恋とは、心のインフルエンザみたいなものだ。一度かかると厄介で、ずっと熱に浮かされたようになってしまう。かかりたくないと思ってもかかってしまう。不可抗力である。恋をしている状態というのは、決して健全ではないと思う。
それに対して愛とは?私は、心の基礎体温が上がった状態だと思う。相手のことを思いやって、どうしたら幸せにできるか、どうしたら自分と相手の二人で幸せになれるかを考えていけることではないだろうか。それが生きる上での活力になる。
もちろん、生きていればたまにはインフルエンザにかかることもあるだろう。でも、基礎体温が高ければ、免疫の力で乗り越えることができる。私はそう信じている。