脱毛をした友達から渡された、時限爆弾のような焦り
今月に入って、最後の砦だった友達が「あ、そうそう脱毛したんだ」と会話中サラッと言った。ついに、この時が来たなと思った。私は内面に雷が落ちるのを隠して、笑顔で「良かったじゃん」と返した。友達は白い手を腕になめらかに滑らせて、脱毛の効果を示してくれた。私に向かって投げられる彼女の視線に他意がないことは知っているけれど、なんだか気後れして、こっそりと服のすそを伸ばした。
時限爆弾を渡されたみたいだった。どんどん焦りだして、どこの店を使ったかとか、いくらぐらい掛かったかとかを軽く聞かせてもらった。一通り教えてもらって自宅に帰り、自分で検索をする。だけど、表示される金額や期間、グーグルマップに表示される医院までの距離や時間なんかを見ているうちに時間がたち、次第に脱毛に対するやる気が失せてしまって、結局やめた。
体毛が生えていてもおかしくない。なのに、誰のために脱毛するの?
静かな部屋でひとり思う。「誰のために脱毛するの?」「そのお金あったら、他の楽しいことできるよ?」たぶん、これが私の本当の気持ち。
私は、もともと面倒くさがりなので、小まめに毛を処理することなく、服で隠れる部分は放置している。服装は、上は長袖、下はパンツやロングスカートしか履かないので、正直な話、顔と手の見える部分以外は大草原だ。
そもそも人間は、猫や犬と同じ哺乳類なのだ。体毛がフサフサ生えてたっておかしくないはず。犬や猫たちは、毛が生えていると、モフモフだと言ってむしろ喜ばれる。人間の女性だって、フサフサでいいじゃないか。落ち着いているときは、こう思っている。
広告の中の女性からは、不安をあおられることもあるけれど
ずっとこのメンタルでいられたらいいのだけど、そうは許さない社会の仕組みになっているようだ。私たちの社会は明らかに、女性に劣等感を抱かせ、物やサービスを買わせて、お金を儲けようとしている。
スマホに浮かび上がる広告。不可抗力的に目に入る、広告の女性。肌は陶器のようで、毛穴一つも見えないまでにとことん化粧でふさいでいる。美の女神は、勝利の笑みを湛えて、私を堂々と見据える。「これが女性のあるべき姿よ」と言わんばかりに。彼女は不安をあおるのが上手だ。私に考えさせる。「じゃあ、私は一体どう映るのだろう」と。
CMには、腕に毛が生えていたり、シミや毛穴のある女性が映されることはない。まるで女性は、プラスチックのようなツルツルの身体であるのが普通みたいだ。
男性のように、女性だって毛の生えた動物として、生きやすい社会になってほしい。
私は、動物のまま生きてみたいし、そんな女性も応援したい。