ふったりふられたり。
そんなことあっただろうか…… と考え込んでしまうほど、私にとって恋愛は遠い存在です。
どうやらもう何年も、異性を前にして胸がキュンとなる経験をしていないみたいです。

「この人のことをもっと知りたいな」

私は北海道の小さな町で社会人になりました。
幼い頃に少しだけ住んでいたその町は、見渡すかぎり草木に覆われ、冬の夜には濃い群青色の空が綺麗でした。

彼との最初の出会いは小さな居酒屋です。
同じ職場に勤めていた彼とはじめて話をした夜のことです。
異性との会話になると臆病になってしまう私でしたが、お酒の力をほんのちょっぴりかりて、隣に座った彼に話しかけてみたのです。

一見無口そうな彼でしたが、会話が弾むにつれ優しい表情を見せてくれるようになりました。
お互いの共通点があることもわかり、ちょっとだけ心が近くなったような気がしたのです。

「この人のことをもっと知りたいな」

そう思うようになりました。

彼の家で過ごす時間は、とても温かくて優しい時間でした

その後も何度か飲みの席で一緒になり、ある日の二次会で彼の家へ行くことになりました。
田舎まちでは食事処も飲み屋さんも限られてしまいます。
カフェやバーなんてものもないので、誰かの家で飲みなおすことが日常茶飯事でした。

一度行った彼の家には、そのあと何度もお邪魔するようになりました。
もう一度申しますが、そこは小さな田舎まちです。
遊ぶところなんてありませんし、人と会う場所といえば誰かの家しかなかったのです。

気がつけば、彼の家で過ごす時間が増えました。
寒い日はお鍋を食べたり、暖房をガンガンにつけてアイスクリームを半分こしたり。
映画をみながら長い夜を楽しんだ日もあります。

思い返せばとても温かくて優しい時間が流れていました。
けれども私の心は、雪解けの暖かな日差しとともに、いつからか外へと向いていってしまったのです。

私の足は彼の家から遠のいてしまいました

ちょうどその時期に悩んでいたこと。
それは、これから先もずっとこの町に住みつづけるのかということです。

小さな町にはいいところもあれば、20代の私にとっては物足りないことも多々ありました。
高校や大学時代の友人と電話をするたび、社会に揉まれながらも新しい自分へと成長していく彼女たちの姿に刺激をうけ、焦燥感が押しよせてきたのです。

「5年間働いたら、都会に出よう」

そう決意してからというもの、私の足は彼の家から遠のいてしまいました。
自分にとって大切な20代は、彼にとっても大切な20代です。
落ちつきのない私のせいで、彼の時間を無駄にしたくはなかったのです。

「ごめんなさい、やっぱりそういう関係にはなれないです」

本当の理由は言えませんでした。
「一緒に新たな地へ行きたい」なんて言いだす勇気も度胸もなく、彼にはただただ嫌な思いをさせてしまったことを今でも悔やんでいます。

フとした瞬間、彼はいま何をしているんだろう……?と考えてしまう

20代ラストとなった今、私は都会からすこし離れた郊外で、新たな生活をしています。
以前よりも心が毎日キラキラと輝いています。
けれどもフとした瞬間、彼はいま何をしているんだろう……?と考えてしまうのです。
私はまだあの温かくて優しい時間以上のものを知りません。

そろそろ恋、したいな……
なんて思いながら、29歳も残すところあと数週間となりました。