ひとまわり以上年上の彼は、都合の良い人だった

ひとまわり以上年上の人と、週に1度、ごはんを食べて同じベッドで眠りました。
その関係がはじまったとき、私は当時の彼氏と別れたばかりで、胸にぽっかりあいた穴を埋められれば、それで良いと思っていました。ひとまわり以上年上の人は、余計な詮索をせず、付かず離れず、私の機嫌を上手にとりました。都合の良い人でした。
甘えているうちに、いつの間にかその人が埋めてくれるものは、元彼があけた穴より大きく深くなっていました。

「好きって気持ちがよくわかんないんだよね」
女子会で、鮮やかな色のグラスを傾けながらこぼすセリフは、決して嘘ではありませんでした。どんなに言葉を交わしても、どんなに隣で過ごしても、実家に帰ってしまえば彼氏の顔など一度たりとも思い出しませんでした。
恋愛経験が浅薄なのでしょう。私は「彼氏」という存在を、寂しさを埋める以外の用途で必要としていませんでした。
だから、彼においてもそう。はじめは「寂しさ」を埋めてくれる手近な存在というだけで満足でした。はじめは。

賑やかなお正月の実家で、彼の顔を思い出していた

ひとまわり以上も年上の彼ですから、最初こそ先輩後輩という意識しかありませんでした。ごはんを重ねるうちに、同じベッドで眠るようになりました。「好きだ」とか「付き合おう」とかいう言葉はなくても、寂しさを埋める存在として大変重宝していました。
「おつかれ」で始まるメッセージがきたり、お裾分けでいただいたたくさんのおかずをつついたり、もう遅いからと一緒に眠ったり、その布団がやけに温かかったり。
私はいつしか、仕事がいそがしかったとき、女子会で誰かの彼氏の話題に盛り上がったとき、人肌恋しい寒い夜に、彼を頼るようになりました。彼しか頼ることができなくなっていました。「寂しさ」を埋めるために、彼という存在は最高。だからこそ、最低でした。

ある年のお正月。
実家へ帰って、いつもどおり食卓を囲み、いつもどおりテレビを見て、いつもどおり温かく整えられた布団で眠りました。お父さんもお母さんも妹も、笑い声ばかりが喧しい年末年始のテレビ番組を眺めていました。
けれど私は、彼からのメッセージを眺めていました。騒々しくて温かくて優しい、「寂しさ」なんて影も形もない実家で、私は彼の顔を思い出していました。これが「好き」なのだと思いました。

「好き」を自覚した途端、拒絶されることが怖くなった

年が明けて実家を後にし自分の家に戻ったとき、彼からの連絡がこの上なく待ち遠しく感じました。自分で連絡をする勇気はありませんでした。それまでさんざん時間を共有したけれど、「好き」を自覚した途端もっともっとと望んでしまって、でもそれを伝えたら拒絶されてしまうのではないかと恐ろしく、手を伸ばすことができませんでした。

いつもどおりの、メッセージ。
いつもどおりの、ごはん。
いつもどおりの、ベッド。

待ち望んだ彼との逢瀬。けれどなんだか、彼はとても遠いところに、手を伸ばしてもとうてい届かないところにいるようでした。彼が遠くへ行ってしまったのではなく、私が遠くに来てしまったのでした。
それがわかって、彼との連絡を断ちました。

1週間と少したった頃、ばったりスーパーで会いました。
「急に連絡なくなったね」
彼は言いました。私は、何も言えませんでした。

きっとあの時、「ごめんなさい、ちょっと忙しくて」なんて笑っていたら、それまでどおり彼は私の寂しさを埋めたでしょう。けれどそれじゃ、それだけじゃ、私はもう満足できませんでした。

彼に言わせれば「ふられた」だろうし、私に言わせても「ふられた」でした。