帰省して2週間、ぷつりと彼からの連絡がなくなった

三月末のすっかり春の陽気が感じられる朝、私は実家の布団の上で微睡んでいた。
大学2年生の春休みは長く退屈で、帰省から1ヶ月が経っていた。本当ならアルバイトをして、旅行に行って、とか、やりたいことはあったのだけど。
彼から逃れるように地元に帰ってきた。近くにいると彼の言動に一々文句を言ってしまうから。言っても聞き入れてくれると思ってしまうから。

彼とはそこそこ何でも言える、深い話もできる、いい関係だったように思う。でもそこに私は甘えすぎていたのかもしれない。
お互いにほんの少し言い過ぎることが増えたのはいつからだろう。すぐに仲直りはするものの、些細な言い争いの積み重ねが彼の心を疲弊させたのだろうか。

地元に帰ってからもなんだかんだ彼とは毎日連絡を取っていた。いつも通りの何気ない会話。もう思い出せないくらいに。
それなのに、帰省して2週間が経とうとしていたころ、ぷつりと彼からの連絡がなくなった。毎日来ていた連絡が、2日、3日と途絶えることが増え、とうとう向こうから話題を振ってくれなくなった。
彼に話そうと思っていた、私の行き場を失った日常の些細な出来事は、静かに日記帳の中に眠った。

ここまでくるともうはたから見れば「終わり」だ。それでも当時は自分たちが別れるなんて考えもしなかった。
相手の気持ちが離れているのを感じたけれど、また会ってちゃんと話せば自分たちの歯車は今まで通りきちんとかみ合うようになる、私たちならきっと大丈夫、と一方的に重い信頼を抱いていた。

しんどいな。それでも、会いに戻らなくては

会ってきちんと話を聞きたい、それには早いに越したことはないなぁと彼に連絡を入れた。短い了承の返事がきたことをぼんやりと覚えている。再び鳴ったアラームを止めてベッドから重い体を起こす。階段を下りていくと朝食のいい匂いに憂鬱な気持ちを忘れそうになって、思わず笑ってしまう。

あぁ、こういう日常の幸せをずっと2人で分かち合いたかったのに。
私がおいしいご飯を作って、あなたがお気に入りの紅茶を淹れて、それで喧嘩した憂鬱な気持ちがリセットにはならないのか。この1ヵ月に実家で覚えた手料理を、あなたに振舞うことはもうできないのか。
しんどいな。それでも、会いに戻らなくては。私がしんどいよりもあなたがしんどいほうが辛いから。
やっぱりちゃんと手放してあげなくては。
いつも通りの朝ごはんが少しだけ私を元気にしてくれた。少ない荷物をまとめて元気に「いってきます!」と両親に声をかける。
古びたバス停から高速バスに乗り込んだ。乗り継いで10時間以上の長旅。その間に私は覚悟を決める。
途中で彼の地元を通った。1度だけ2人で訪れた場所、最後に少しだけ彼の家族へ思いを馳せる。もう2度と私が会うことのない人たち。

スマホの写真フォルダーを開く。私の膝枕で眠る彼とその胸に抱かれて丸く眠る彼の愛犬。同じ顔をしていて好きだった。心を開いているように見える2つの寝顔。
まだ、消せないな、とそっとお気に入りを解除して、他の写真を消していく。
1年と5ヶ月なんてそんなに長い期間でもない、と思っていたし、私たちはあまり写真を撮らなかったからフォルダーを空にするのにさほど時間はかからないはずだったのだけれど。

「言葉にせなあかんのかな」「そう、だね。聞いておこうかな」

気づくと日が暮れかけていた。
「もうすぐ着くよ」
既読のついたまま返信がきていない画面を開いて短い連絡を送る。
1日が終わろうとしている。3月の夜はまだ肌寒く冬が戻ってきたようだった。
返信がこないまま彼の家の前まで戻ってきた。鳴らし慣れた呼び鈴を押す。疲れたような、萎れた彼の顔がそこにあった。

ごめんね、そんな顔させたかったわけじゃないの。やっぱり遅すぎたんだなぁと改めて思う。
紅茶を淹れてもらって、一通り離れていた1ヵ月のことを話した。いつも通りにマグカップになみなみと注がれた紅茶に心が痛かった。
心の中で「月が綺麗ですね。」と囁きながら「紅茶が美味しいね。」と笑う。

「どうしたらいいと思う?」
「私が伝えたいことはもう伝えたから、あとはあなたが決めることだよ。」
「決めなあかん?」
「もう決まってるんでしょう。大丈夫。」
ふいに名前を呼ばれる。
「なに?」
「なんもない。いや、ある。」
「うん。」
「ちゃんと生きていける?」
「生きていけるよ!なめるなよ!!」
「長かったなぁ。」
「そんなんすぐやろ。」
「幸せやったな。」
「うん。」
「言葉にせなあかんのかな。」
「そう、だね。聞いておこうかな。」

彼の亡くなったおばあちゃんが最後に残してくれた言葉は「自分を大切にしなさい」だったらしい。

今彼がちゃんと自分を大切に笑って生きていますように。
私は最後にものわかりの良い彼女でいられたでしょうか。
本当はどこにも行かないで、って泣きつきたかった、かな 笑。