自分は何者なのか? 自分存在価値に対して自問自答をしたことが、きっと誰しも一度はあると思う。

この問いを考え出すと、私は答えが出たことはなく、考えるのをやめる経験しかしたことがなかったが、最近になって考えがガラッと変わった。その話をここでしたい。

刺激と新しい環境、そして「人間関係」を求めて私は上京した

何者なのかと考えるようになったのは、社会人になって少ししてからだった。帰路に着く途中ふと、私は何者かになれたのだろか? という問いが脳裏に過った。

進学と銘打って本音は、刺激と新しい環境、そして人間関係を求めて私は上京した。都会に出ることで、私は変われると思った。大きな商業施設、夜には煌々と輝くネオンの色。行き交う人、人、人の数。ずっと憧れていた都会の喧騒の一部に過ぎないそれらが、私には憧れだった。

地元になかった全てが、そこにはある。煌びやからな世界が、自分を変えてくれると。人任せならぬ、環境任せ、期待だけは一丁前に、私は地元を後にした。漠然とした期待は、ろくに勉強をしていないのにテスト当日になると、なんだかいける気がするぞと思う根拠のない自信とそっくりだった。結局、明確な目標も目的もなく、地元を離れた私は劇的に何か変われたわけではなかった。

そうして大学を卒業し、社会人となった私の人生は、例えるなら特に大きな山もなく谷もない、少々凹凸がついたような道。そんな道に、突然大きな石が空から降ってきて道を塞いだ。その石には「私は何者になれたのだろう?」と文字が刻まれていた。

私は楽をしていたから、何者かと聞かれても答えることが出来ないのだ

高校生の頃「あなたは何者でもないのだから」と母に言われた。その時、私は母が何を言っているのかよく分からなかったが、ニ児の母であり、教諭である母。

一方の私は制服に守られた少女。制服が学生という盾を与えてくれている。でも、その制服を脱いだ後は? 目に見えて守ってくれるものはこの先にはないのだと、自分を守る武器を誰ももう用意してはくれない、自分を装備するモノは自分で用意しなければならないことを母は教えてくれたのだと気づけたのはだいぶ後のことだった。

母の言葉が私に届くことはなく、学生時代は努力という行為から逃げてきた。嫌いな勉強はとにかくしなかったし、受験勉強はせず推薦のような形で進学した。自ら進んで参加した催事も途中で飽きてメンバーに迷惑をかけたこともある。就職活動も思ったようにいかず行きたかったところには全て落ちた。それもそのはず、母が言っていた装備を着用せず、丸腰で挑んだのだから。

大きな山も谷もなくスムーズだと感じていたのは、ずっと逃げていたから、ずっと楽をしていたから。だから簡単だったのだ。考えず、苦労せず、私は生きてきたのだ。だからなのか、だから私は何者かと聞かれても答えることが出来ず、存在価値が見出せずにいるのかと。

大手の会社に勤めているわけでもない、誰かを助ける仕事をしているわけでもない。手取りがいいわけでもない、何か功績があるわけでもない。その全てが逆だったら、私は何者か答えれたのだろう。富や名声、地位を手に入れたのものが自分が何者なのか答えに辿り着けるのだろう。私には到底無理な話だとそう思っていた。だが、そうではないと気づいた。

自分に「誇り」を持って生きていく道を見つけるしかないのだ!

何者なのか、何故存在価値を見出せないのか。それは、自分に対して誇りを持っていないからだ。富でも名声でも地位でも功績でもない。誇りだ。自分に対して誇りのある者が、自分が何者なのか、存在価値を見いだせるのではないかと。

自分に誇りが持てないのは、自分の怠慢さが生んだ結果が今、形となって現れているからだ。描いていた理想とはかけ離れてしまった現実。こうすれば、ああすれば…もしの話は、幾らでも思いつく。だったら、私は自分に誇りを持って生きていく道を見つけるしかない。見つけるべきなのだ。私は私として、誇りを持って生きていきたい。

私の人生まだまだ先は長いのだ、人生に二度はないし、私は私として生きていくしかない。たった一度の一人だけの私なのだから、選んだ道に自信と納得、誇りを持って生きて、いつか母に伝えるのだ。「あなたはまだ何者でもないのだから」という言葉に、私なりの答えを返すために。