まだ小さかった頃、同じクラスの男の子に突然「死ね」と言われた。日々気楽に生きてきた私にとって、それはあまりに衝撃的で直接手は下されていないにしても十分すぎる暴力だった。それを母に話すと、最初は辛かったねと頭を撫でてくれるのだが、最後は「でも、あの子は家庭が複雑だからイライラが溜まっているのよ。許してあげてね」と諭された。これが私が生まれて初めて感じた"理不尽"である。

それから20年以上経った今、久しぶりにそれを思い起こす出来事が起きた。(ここで書くことは大人気ないと思いながら書くことを辞さないのは私の中で消化しきれない鬱憤があるということを理解していただきたい。合掌)

神妙な表情で帰ってきた主人が、「マスクもらったの?」と話し始めて

私はその頃、妊娠していた。その時も今尚続くコロナ禍の真っ只中で皆が不安でピリピリしていた時期でもあった。
そんな時、突然友人からLINEがきた。普段はあまり連絡を取り合わない仲。私の主人とも仲が良く、夫婦同士で面識がある。「知り合いのツテでマスクが多めに手に入りました。要りますか?」。始まりは"マスク"だった。当時はマスクの買い占めが問題視されており、店頭やネットにも在庫が無い状況。私は内心、まだ家に予備は残っているな…と思いながら「もし他の人にも配って余裕があれば頂けるとありがたい」と返事をした。
ほどなくして自宅に何箱かマスクが届く。送り主はその子から。私は一言「届きました。ありがとう」と連絡を入れた。

その晩、主人が神妙な表情で帰ってきた。何かあったのかと察してそっとしておくと「そういえばマスクもらったの?」と話し始めた。日中にその子の旦那から主人に電話があったらしい。内容としては「妻がマスクを送ったのだが、私からの御礼が『ありがとう』の一言で感謝が込もっていると感じられなかった。このご時世で大変な思いをして手に入れたのに、軽くあしらわれた気がして妻が傷ついている。以降、私の言動を注意するように」とのことだった。

彼女は「許されていない」という気持ちは微塵も抱いていないはず

一瞬何を言われたのか分からず唖然とする私。それから悔しさが沸々と込み上げてきた。冷静さを失い、危うくその子に電話しかけた。傷ついて怒っているのならば直接私に言えば良い。それもキッカケは向こうから与えてきた。御礼を伝えたのに感謝が足りない、口の利き方まで変えるよう言われると人格を否定された気がした。そもそも感謝とは心で思うことであり、それを言葉に現す際、必ず熱量を比例させなければいけないのか。口下手な人はどうする?
まあ、主人に止められ電話することは無かったのだが。これが久々に感じた"理不尽"な話。

それからしばらく経ち、その事は忘れかけていた頃、主人が「そういえば…」と唐突に話し出した。「前の"マスク"事件(我が家ではそう呼ばせてもらっている)の時、あの子、流産したばかりだったんだって。情緒も不安定だったみたいだし許してあげてよ」
そもそも「許す」とはどういうことか。私は言われて嫌な思いをしたのは事実だが、多分向こうが取った行動は全て無意識的。きっとあれが彼女にとって通常モードで気にも留めていない。彼女は「許されていない」という気持ちは微塵も抱いていないはずである。

もっと鈍感でありたかった。でも、書き出すことで気持ちが楽になった

また、流産は大変辛いことなのも分かる。私も妊娠中にお腹の子に何かあったらと想像しただけで息が出来ないほど苦しくなった。しかしだ。情緒が乱れていれば他者に攻撃的になるのは果たして許容されるのか。可哀想だったら何をしてもいいの?極論、精神的に不安定であれば人を殺してもいいのか。殺害された者や遺族には「犯人、殺害時は落ち込んでいたみたいよ。殺されたのは運が悪かったね」と声をかける。ねえ、それで納得出来る?出来るわけ無いだろ。(うむ、私も感情を押し殺せずにいる。合掌)
この世は"理不尽"なことが多過ぎる。「1/全人類=私」で"理不尽さ"を感じてしまっているのだから、トータル数を出すと恐ろしい事になりそうだ。
それか、私は何事も気にしやすい性格にあるのかもしれない。良いか悪いかはその時々だとしても、今回は間違いなく悪い方。もっと鈍感でありたかった。
しかし、ここまで大人気なく書き出すことで単純に気持ちが楽になったようにも思える。時々吐き出しながら自分の"理不尽さ"のキャパシティに余裕を持たせて生きていくしかなさそうだ。