『男女の友情は成立するか』いう問いについて考えたことがある人は、どれくらいいるだろうか。飲み会のくだらないネタなのかもしれないけれど、「友達でいたい」とフられた記憶を心に残し続けている人も少なくないとも思う。

男女の友情、という意味は、一番深いレベルの『善の友情』だと思う

はじめに断っておきたいのだけれど、この文章で言う”男女”や”異性”は、『お互いに性愛感情・関係を持つ可能性のある二人』という意味だ。LGBTだって、ポリアモリーだって、当たり前のように存在する世界において、とても言葉足らずなのは理解している。わたしの表現力が不足しているために、全ての性志向を包括した表現で簡潔にいい表すことができなくて心苦しい。わたし自身が異性愛者のため、ここでは便宜上、異性愛を前提に話を進める。

この問いの言葉足らずさはこれだけにとどまらず、そもそもの "友情" の質について語らないと前に進めない。

わたしは中学の時に「いつまでも親友だよ!」と言ってくれた子にあっさりと裏切られた。だから20代後半になっても友達・友情という言葉に向き合えず、明確な答えが分からなかったので、偉人による定義でも借りようと思って調べてみた。そして、ギリシャの哲学者アリストテレスが、著書・ニコマコス倫理学の中で友情を三つに分類していることを知った。何らかの実益を自分にもたらす『実用の友情』、それを超えて心理的な喜びや楽しさを共有する『快楽の友情』、そして自分への利益以上に相手を思いやる気持ちがある『善の友情』だ。

男女の友情、と言ったときに意味するのは、この一番深いレベルの『善の友情』なのだと思う。つまり究極のところ、『自分が心許せる一番仲がいい異性を、恋愛感情も性欲も抱かず、友人としてそばに置き続けられるか?』と問われているということなのだ。心の壁のこちら側に相手を入れてしまっている状況で、自分のとても無防備で繊細な部分を開け放つかわりに、信頼と安心と思いやりと奉仕の喜びを得る、そんな状況。

そのとき、あなたは恋愛感情を持たずに ”清い” 友達でいられるだろうか。

心を許した人に対しての恋愛感情を自覚し、愕然としたこともある

実際のところ、わたしは『成立する』派に属している。さも同世代だけの家族のようなシェアハウスに住み、世界各国でその日に会った人の家を泊まり歩きなどしていたら、人との距離感がぐらぐら・どろどろになった。カッコ悪いところも晒し合う趣味仲間、一生分け隔てなく接したい親密な人の中にも異性はいる。相手はどう思っているのかわからないけれど、主観的には堅牢に『善の友情』に見えるものが成立している。

でも、真に自分の理解者だと思って心を許した人に対しての恋愛感情を自覚し、愕然としたこともあるのだ。しかも、付き合いたいという欲は沸かなかった。生身の人間として触れ合うことが想像できなかったのだ。それは彼の存在を神聖化していたのかもしれないし、もしくは関係性が壊れるのが怖くて、それ以上の性愛の感覚に自動的にロックがかかったのかもしれない。それはきっと便利といえば便利な機能だけれど、もっとシンプルに生きられたほうが幸せな気はする。

そんな経緯で内心がぐちゃぐちゃだったから、幅広い他人の意見を聴きたくなった。そのためにわたしが向かった先は、Tinderだ。血迷ったように見えるかもしれない(し、実際血迷ったのかもしれない)が、なんとこれがとてもうまくいった。『男女の友情は成立するか』という哲学対話目的の人なんて出会い系アプリにはいないから、完全なるわたしのブルーオーシャンである。意外なことに、面白がっていろんな人が話しかけてくれた。誰とでもマッチする設定にしていたけれど、話をしたのは9割以上が男性だ。

身の回りの人は男女とも全員『成立する』。そのギャップが面白い

Tinder利用者男性でわたしと会話をしてくれた人の中では、なんと『成立しない』が8割を占めた。多くの人によると、性欲が全てを凌駕するのだそうだ。あるいは、「自分は性的な視線で相手をみてしまい、どうせ気持ち悪いと思われるだろうから異性の友人ができる気がしない」と、性欲と自己肯定感の低さに戸惑ったまま生きている人も見かけた。

わたしの身の回りの人は男女とも全員『成立する』というから、そのギャップが面白い。日常に地続きの人間関係がある人は『成立する』と回答して対面を保つほかないのかもしれないし、わたしを面白がるような匿名回答者は、Tinderユーザーという強いフィルタリングにより回答が偏っているんだろう。

逆に『成立する派』の意見も以下のように多様だった。

  • 幼なじみとどうにかなるなんて想像ができない、それは漫画の中だけ
  • 性別どうこうの前に人間だと捉える
  • 性欲を感じていたとしても、それを発露させない関係性を守り通そうとするのなら、そこには真摯な友情が存在すると言える
  • お互いに自立し、自分の欲求に自覚的である場合、セックスしても友情が維持できる
  • そもそも、あまり性欲がない

思った以上に『成立しない』と捉える人が多い世界に自分が住んでいることは、大きな発見だった。自分の枠を理性的に保ち生きている人の中にも、親密になるほどわき起こる性愛の情動は、とても普遍的にあるのだ。その事実はわたしの中にある世界への前提の角度を変えた。わたし自身は長い間、自分の中・他者の中にあるそれを怖がって生きてきた。でも多くの人は、その気持ちを恐れず、目を逸らさず、きちんと自分の手の中に置いているのだ。わたしの問いに真剣に答えてくれた人たちは、自分の中にある欲求と境界線に自覚的で、とても好ましい人ばかりだった。一期一会とも言えないくらい脆い邂逅が当たり前のプラットフォームで、わたしは一生物の学びを得たかもしれない。