共同生活をする彼が、2人"だけ"の時間を作ろうとしたのは…
「今日は終電逃しちゃいませんか?」
その言葉の意味を私は知っていた。
知っていたからこそ聞こえないフリをした。
時刻は22時45分。
すでに駅のホームに立っている私たちに終電など気にする必要はない。
それでもあえて彼は終電という回りくどい表現をした。
彼自身不安だったのだろうか。
それとも私の揺らぐ気持ちを知っていたのだろうか。
だからそんな濁した表現を使ったのだろうか。
私の考えを遮断するように彼は言葉を変えてもう一度言った。
「電車には乗らずに何処かに泊りませんか?」
同じ屋根の下で暮らす私たちは、わざわざホテルになんか泊まらなくても朝まで一緒にいることが出来る。
同じ仕事をする私たちは、2人でいる時間を作らなくてもいつだって一緒にいる。
現に今だって、仕事仲間との飲み会終わりだ。
それでも2人"だけ"の時間を彼が作りたい理由には薄々気づいていた。
彼のことは誰より大切。でも、万が一別れてしまったら…?
私も彼が大好きだ。
彼が私を思う気持ちより彼を思っていると自信を持って言い切れる。
共に過ごした時間で作り上げた彼への信頼や安心感は大きく、彼のいない人生なんて考えられない。
そう思えるほどに彼の存在は私にとって大きかったし、他には変え難いほど大切なものだった。
でも、だからこそ、彼とは付き合うことが出来ないのだ。
私が今独身であることが答えの全てであるように、今まで一度も大切な人と最後まで仲良くという経験をしたことがない。
どれだけ甘い時間を過ごした彼氏とも、どれだけ大切に思えた彼氏とも、最後には必ずお別れが待っていたのだ。
付き合うと一時的に注ぐ愛情や感じる大切さは人一倍になるが、別れてしまえばあっけなく赤の他人に戻ってしまうのだ。
もしこのまま終電を逃したとして、
彼と朝まで過ごしたとして、
彼の思いを受け入れたとして、
彼に存分に愛され、そして彼を存分に愛し、ある程度の月日が経った頃に永遠を誓い合うことができればいいが、万が一それが出来なかったら?
悩んだ時、誰が話を聞いてくれるのだろうか。
迷った時、誰が背中を押してくれるのだろうか。
もしこのままみんなと共同生活をする家に帰ったとして、少しの間だけギクシャクするであろう時間をお互いが上手に目線を逸らしながら過ごし、時間が全てを解決した後、最高の友人関係を築いていけたら?
きっと彼は悩み事を吹き飛ばしちゃうぐらいに毎日笑わせてくれるだろう。
泣きたくなった時は、何も言わずに私の気が済むまで隣にいてくれるだろう。
彼を失うリスクは大きい。だから私は、精一杯の返事をした
関係を変えて彼と濃く短い時間を過ごすか、このまま細く長く共に過ごすか。
答えは迷うことなく後者だ。
彼を失うリスクを背負うには彼が大切すぎる。
彼のいない人生なんて考えることが出来ないし、彼がいなくなった先に明るい未来なんてないとすら思える。
それほどまでに彼が大切すぎるが故に、恋愛関係に踏み込むことが出来ない。
はっきり"No"とは言えなかった。
かといって"Yes"と言う答えも選択肢にはなかった。
「電車まだあるし、今日は真っ直ぐ帰ろっか」
精一杯の私からの返事だった。