――ベリーダンスと聞いてどんなイメージを持ちますか?
色っぽい?妖艶?いやらしい?
華やか?露出が多い?
美しい?

――ベリーダンスしませんか?
無理です!

そう、80%くらいはこの答えです。
したくない、じゃなくて無理。

――理由は?
お腹出せない、恥ずかしい、踊れない。

女性らしいダンスを広めたい。「女性らしい」は性差別でしょうか?

私がベリーダンスを始めたきっかけは、痩せたいでした。
そして、その妖艶な動き、しなやかな手の使い方、美しいダンスに魅了され今日まで続け、さらにはこの美しく、女性らしいダンスを広めたい、とインストラクターとして活動しています。
あ、女性らしいは性差別でしょうか?
私は女性らしさを大切にしていて、女性に産まれて女性に生きるからこそ女性らしく生きていきたい。
40代を過ぎて若さという美しさは剥がれ落ち、年齢による悩みも増えました。
身体的な若さがなくなって研ぎ澄まされた熟した美しさ、女性らしさを今は大切にしたいと思ってます。

社会には様々な差別があります。
女性差別、年齢による差別、身体による差別、ビジュアルによる差別。
私は差別と区別が紙一重だと考えています。女性差別はダメだけど区別した方がいいこともある。

少し前に森喜朗さんが、女性差別発言をして役職を追われました。
私はこの一連の流れこそ大きな女性問題だと考えてます。
きっと、普通ならあの発言は公人としてはありえない発言、というでしょうね。
私は聞いたときにふぅーん、という感想でした。
本当にふぅーん。
他には何も。
そして何より驚いたのはあの発言がピックアップされ拡散され、日本中が大事件だと言わんばかりの騒ぎよう、さらにあの失言により森さんは役職を辞任することになりました。
びっくりしました。
びっくりという言葉しかなかった、そして同時に怖い社会になったなぁと感じました。
『女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります』
失言とされている言葉。
ふぅーん。もしくはそうだよね、話し長いよね。
もちろんその後の謝罪会見、諸々あって辞任されたことも理解してます。

女性軽視問題に発展し、女性のムーブメントが起きたのが怖い

ただ、この発言が辞任のきっかけになるならば、私は男性差別の代表くらいの発言をしています。
おじさんは臭い、親父臭は嫌だ、男のくせに。
はい、言っちゃいます。
そしてそれを受けて主人は笑ってます。
いや、もしかしたら心では深く傷ついていつか私に逆襲するかもしれません。
ただ、私は森さんのような発言をされたらセクハラですよーと笑って答えるかもしれませんが、気になりません。
だって女性の話長いし脱線することが多いことは事実ですし、その脱線が面白い。
私が怖いと思ったのはこの発言が女性軽視問題に発展し、さらには女性のムーブメントが起きたこと。
今こそ、女性差別に立ちがろう!って。
私はこの発言? この発言?って聞きたかった。
森さんがこの時に女性は無能だ、とか男性のほうが仕事ができる、とか女性は仕事ができないとかならまた私も思うことは違ったけど、この発言ですか?

この発言で森さんは女性軽視差別的な思想というレッテルを貼られ辞任しました。
まぁ、過去にはいろいろな発言があったようですが。
これって裁判なら損害賠償請求するような発言なんでしょうか?
マスメディアに上手く利用され、ただの森さん潰しに加担しただけではないんでしょうか?
社会の同調圧力が最近は顕著になり、SNSでも皆してるからと誹謗中傷をする。
なんか女性に限らずですが、日本人は(はい日本人差別です)同調性と協調性を誤ってないでしょうか?

海外の方にイエスマンと笑われたことが以前ありましたが、何も変わってない。
女性(はい、また女性差別です)は協調性のあるとこが素晴らしいとは思いますが、今回は同調性というイエスマンのところが表に出た結果ではないでしょうか?
あのボスママが言うから、お局様が言うから、と同調して誰かの悪口を言う、従う。
誰かに同調するのは簡単だし楽です。
自分で考えなくていいし、あの人がそう言ったからと責任をなすりつけれます。
ただ、それは誰かの考えを自分の考えと錯覚し、自分の意志は忘れられてます。
皆と一緒がいい、を発揮するのは女性には顕著です。
誰かのマネをしてれば安心でき、失敗しても私じゃない、あの人がしてたから、と自分は守られる。
ただ、行動したこと、発言したことは人マネでも自分で責任を持ってください。
自分が何かを決定する軸が自分でなく他人。
自分が自分の人生を生きていますか?

お腹を出すのが恥ずかしい、白い目で見られる…。そういう理由では?

「ベリーダンスをしましょう」と言って、「興味ないから」と答える方は潔く、ほぼ「できない」と答えます。
できないのは自分軸でしょうか?
本当はキラキラした衣装をきてしなやかにたおやかに踊ってみたいけど、お腹を出すのが恥ずかしいとか、周りから白い目で見られるからとか、そういう理由ではないでしょうか?
協調性は違うものを認めてお互い譲り合って調和すること。
同調性は他のものに調子を合わせること。
自分の人生、自分軸で歩むためには、女性が女性差別を訴えるなら、同調性じゃなく協調性を意識して物事を考え、さらに責任を持って行動していかないといけません。

森さん問題は女性の同調性を利用した誰かによって作られた負の行動です。
あの発言を叩き、声を出し、非難することがのちに女性軽視差別を変えますか?
私は「これだから女性は」……というきっかけになる「後退」だと感じます。
もっと女性軽視差別で声を上げる場所はあります、そしてそれは同調性では気づかない、身近な場所にもあります。
協調性を生かし、協調しながらも違うことは違う、ダメなことはダメという、さらには重箱の角をつつくようなことはせず、本当にダメだよねということに声を上げませんか?
そのためには自分軸をもつこと、そして協和しながらお互いよりよくなるために行動をおこしましょう。

そして、ベリーダンスに興味があるならドアを開けてください。
開けたドアには自分が今まで経験したことのない、煌びやかな世界が広がってますよ。