「お前は先輩に死ねって言われたら死ぬのかって聞いてんの!」
今から十年前のこと。普段は温厚でおとなしい私はキレた。

彼は中学の同級生で、当時はただのクラスメイトだったけれど、ひょんなことから再会。しばらくして交際が始まった。
どちらが愛の告白をしたわけでもない、記念日もない付き合いだった。一目惚れだとか、運命を感じるような恋ではなかったけれど、無邪気で幼い子どものような彼と一緒にいる時間は居心地が良かった。

社会人になって初めてのクリスマス。珍しく彼がデートに誘ってくれた。場所はデートで定番の街。今になって思えば、最初で最後のデートらしいデートだった。
彼が、クリスマスプレゼントで指輪を買ってあげると言い出したときは驚いたが、とても嬉しかった。

空気は氷点下、店員さんの憐れむような視線。人生で最も惨めな一日に

人気のジュエリーショップでリングを選びながら、胸の奥がくすぐったいような感覚に酔いしれた。女性店員が人気のあるものや、私が気になるものをショーケースから出してくれる。
店員さんが彼に、どれが私に似合うと思うかと尋ねると、彼はこう言った。
「正直、どれも同じに見えますね。なんで女の人がこんなのが欲しいのか分からない」と。
その場の空気は氷点下。店員さんの憐れむような視線に頬が紅く染まるのを感じ、逃げるようにその場を立ち去った。彼は、何で?という顔をしていた。逆に何で?聖なる夜のデートは人生で最も惨めな一日になった。

決定的な出来事が起きる。
ある金曜の夜、私の携帯が鳴った。着信は彼からだが、声は彼ではなかった。
彼の同僚を名乗る人物は、彼が浮気をしたと言う。がやがやと周囲がうるさい。
しばらくすると彼が電話に出て、へらへら笑いながら「嘘だから。」と言い、電話が切れた。そんなことが何回かあった。
「嫌な気持ちになるからやめて」そう伝えると、彼は「先輩にいじられるんだから仕方ないよ」と飄々と言ってのけた。
冒頭のヒステリックな台詞に戻る。私はキレた。まるで瞬間湯沸かし器にでもなったかのように。
彼にも、彼の同僚にもなめられているようで悔しかった。大切にされていないことを身をもって知ってしまった気がした。背伸びして余裕ぶった自分が情けなかった。
唖然とする彼の表情を見たとき、今日までの思い出が脳内を駆け巡る。ポトン。まるで線香花火が落ちる時みたいに、胸に染み入った一つの結論。私たちはお互いにではなく、恋に恋していたのだ。

始まりのなかった交際の終わり。なんて可笑しな話だろう

私はいつも、彼氏と映画館に行ったり、今風なカフェでお茶したり、左手薬指のペアリングをうっとり見つめる友達が羨ましかった。インドアでお洒落に興味がない彼では、こんな小さな私の願いを叶えることすら無理だと思っているのに、どうして一緒にいるのだろう。
それでも、ささやかな期待と大きな落胆を繰り返す私は、「女心が分からないモラハラまがいの男」に傷つけられても、ひたすら尽くし続ける悲劇のヒロインを演じる自分に陶酔しているだけなのかもしれない。

彼にとって、初めての恋人は私だった。誕生日にケーキを買ってきてくれたこと、合格祈願のお守りをくれたこと、楽しかった日があったことに嘘はない。そんな陽だまりのような彼に戻ってほしいと思ったこともあるけれど。変わるも何も、きっと彼は最初から何一つ変わっていないのだ。
おそらく彼は釣った魚に餌はやらないタイプの人間で、私はまんまと釣られてしまっただけ。そう考えると、幾ばくか気持ちが楽だった。私ばかり彼を好きだったなんて思いたくなかった。

ほどなくして、私は彼に別れを告げた。彼は泣いて謝った。私は許さず、それっきり。
始まりがなかった交際に終わりがあるなんて、なんて可笑しな話だろう。