19年の人生の中で、なんとなく居心地の悪さを感じる瞬間なんていくらでもあった。理由がはっきりとはしなかったり、その時その瞬間だけ偶然感じたりしたものも多いけれど、その中にたった一つ、「私はこの話になると必ず居心地が悪い」と自覚しているものがある。
それは世間一般に「恋バナ」と称される類のもの。小学校に入学してから高校を卒業するまで、それはことあるごとにひょいと顔を覗かせた。
恋をしていないとついていけない恋愛トーク、結構きつい
宿泊行事の夜中のナイショ話やぶっちゃけトーク、まことしやかな噂のトピックはほぼ恋愛がらみ。運動会、バレンタイン、卒業式といったビッグイベントの前になれば、休み時間のベランダでみんな頭をつきあわせて、ヒソヒソ、こそこそ、自分自身についてはもちろん、その場にいない他人の恋愛事情まで共有しあっていた。
「好きと思う」という感情が、正直ぴんとこない私は、毎度毎度そんな友人たちの様子に圧倒されて、少々息苦しかった。「〇〇は?誰かいい人いないの?秘密にしないでよー」そう聞かれる度に、「うん、今はないかな」と答えるしかなく、「そっか」とつまらなさそうな顔をされるのもつらかった。
恋をしていないとついていけない話題ばかり繰り広げられる世界は、「好き」が分からない人間にとって結構きつい。「好き」がよく分からないとみんなの好む恋愛ドラマもあまり見ないし、流行りの恋愛映画も興味が湧かない。
つまり、学生時代の女子トークの主題には全てついていけないということになってしまう。置いてけぼりで聞きたくない話に微笑むしかない、あの時間の流れの遅さに辟易せずにはいられなかった。
「早くできるといいね、好きな人」耳にタコができるほど聞いたセリフ
大学生になれば、クラス制度がなくなることで、状況は改善すると思っていた。しかし、むしろ悪化している。大人に近づくほどに友人たちの恋愛はよりレベルアップする。「お付き合い」の深度は高校生までとは比べ物にならない。友人と久しぶりに会ってお茶をしていても、彼らの口からは恋バナばかり飛び出してくる。
私がそれを聞きたいのが、まるで当たり前であるかのように、彼らは話す。その上「好きにならないんだよね、誰も」と言うと、決まってこう言われる。「早くできるといいね、好きな人」「絶対現れるから大丈夫だよ」「タイミングの問題だよ、絶対いい人いるって」このようなセリフを友人たちから、耳にタコができるほど聞いてきた。
聞かされてきた、と言った方が正しいかもしれない。けれど決して私は「好きな人が欲しい」とは言っていないのだ。彼らの恋バナに耳を傾け、コメントを求められたらする、友達の恋人との幸せエピソードは喜ばしいと、素直に伝えられる。けれど「私も恋したい」とは言っていないのだ。だから私が「恋を求めている」と決めつけないで欲しい。
恋愛は必ずしなくてはならないものではない。私に恋を押し付けないで
この「恋愛感情を持って当たり前、女の子は恋してなんぼ」という暗黙のルールが私には苦しい。恋ってなんなの、恋愛感情が分からない、好きと思ったことがないからそもそも女の子が好きか、男の子が好きなのかもまだ分からない、そんな状態でも私はのんびり自分のペースで歩きたい。
恋愛は必ずしなくてはならないものではない、そう私は感じている。だってこの19年一度たりとも恋愛できなかったけれど、毎日は色鮮やかだった。
だからどうか私の友人たち、恋愛を当たり前だと思わないで。恋のない人生を干からびていると思わないで。私に恋を押し付けないで。私はそんな自分でも満足しているから。
私はみんなの持つ恋の普遍性や価値観を変えてみたい。