恋愛がうまくいったことがない。
人生で付き合った人は1人。それもティーンエイジャーの頃で、それ以降付き合うことがなくいよいよ30歳になろうとしている。毎年大体1人にふられ続けているような気がする。

みんなは誰かしらからアプローチがあったりするようだが、そういうことも特にないまま。友達は多い自信はあるのに、自分はよっぽど性格がひんまがっているブサイク女なのだろう。
友達がいないのなら、出会いが少ないからかとも思えるが、多い分余計に落ち込む。

友人が彼女と「婚約破棄」になり、落ち込んでいたから世話を焼いた

昨年、手っ取り早く外見をマシにしようと、いきなり整形手術をした。その話はまた別な話なので、今回は掘り下げないが、とにかく自分のことはあまりいい人間だとは思っていない。短気で嫌な人間なのだ。

昨年、友人のつながりの人が、婚約破棄のような状態になった。その人がふられた理由や境遇があまりにも悲しかったので、落ち込んでいるその人のことを気にかけ、何かと世話をやいたりと連絡を取り続けていた。

彼は国を去った姫を待ち続けていた。その状況では姫は絶対に戻ってこないのに、城の前で惨めに待つなばかものよと思った。しかし、彼は魅力があったし優しかったので、わたしはあっさりと好意を持った。

でも、だからといって、相手がわたしのことを好きになるわけではない。周りの友人のすすめで一度告白もしたが、そんな気分になれないというのと、前の彼女を待つという理由であっさりとふられた。

わたしは、告白をしない。毎回絶対にダメだからだ。それなら細く長く友達でいられるほうがいいじゃないか、という思いで絶対に告白しない。単なる臆病者である。

しかし、今回は告白をしてしまった。あわや友情までも失うかと思いきや、わたしが懸命に友達でいようとしたため、皮一枚で繋ぎ止められた。トホホ。この辺からなんとなく、話はダサい方向に進んでいく。

わたしの思い上がりと「執着」で、急に自分がアホらしくなった

その後、こっそりと友情を育みながら1年半弱もずっと尽くしてきたが、最近嫌になってやめた。そもそも“尽くす”というのが、思い上がりなのだ。自分の思い上がりと執着で、頼まれてもいないのにせっせと連絡をしていたことは認めざるを得ない。なんだか、いろいろと気にかけている自分が急にアホらしくなった。

もちろん、その人から連絡が来ることはほとんどなく、誕生日もクリスマスもちょっとした贈り物をしたが、返ってくることはついぞなかった。

わたしは、執着しているだけだとわかっていたが、ギャンブルと同じで退き時を逃すと、どんどんつっこんでしまう。書いていて、これはダメなやつの典型じゃねえかと思えてきた。しかも、自分の“愛情”が妙にケチくさい。

でも、鬱状態で出社できないときにも励ましたり、困った時は食べ物を持って行ったりもしたのに、本当に自分は相手にとって一体なんだったんだろうな。

そう。本当はわかっている。どれもこれも、自分で選んでいる。告白したことも、友達でいようとしていることも。でも、結局「おまえは、わたしのことを好きにならないだろうな」と思うと、これまでの“ダメだった10年分くらいの悲しみ”が、どっとつきあげてきた。

こんなに人になにかをしたことはないというほど、できることはやった気がするのに。しかし、自分の考えうる“できること”が上記である。とことん人生が、ヘタすぎる。加減がわからない。もしかしたら、人の愛し方を知らないのかもしれない。

私は友人への恋を終わらせた。でも終わらせ方もダサかった

友情よりも恋愛が上だなんて、誰が決めたのかもわからないけど、選ばれないということはこうも悲しいのか。わたしはいつのまにか、夜叉になってしまった。

猛然と腹がたったので、「結局あなたにとっては迷惑だったのに、長いこと連絡したりしてごめん。これからは連絡もしないようにします」というようなことを言って終わりにした。最後までなんだかダサかった。

そうだよな。めんどくさいよな。わたしもだよ。この終わらせ方もケチくさい。悲しくなってきた。

「弱っている自分を認めたくない人は、弱っているときに出会った人を結局大事にしないよね。芸人とかも結局、売れた途端シーズン1の女を捨てる」と友達が不意にそんなことを言っていた。

わたしは人生で、完全にシーズン1の女だった。けれども、シーズン1の女というだけではない、妙な“やばさ”も渦巻いている。

わたしも、誰かの特別になってみたい。そのためには、まずは自分がしっかり人生を生きるところから始めないといけない気がする。自己肯定感が低いから、自分のことを微妙に好きにならなそうな人に、毎度毎度入れこんでしまうのかもしれない。

けれども、人生下手の万年シーズン1女には、どこからほどいて行ったらいいのか、皆目わからないのだ。