大学生の時に付き合っていた彼氏は、5つ年上だった。目が細い痩せ型の、ひょろっとしているどこにでもいそうな人。当時二十歳そこそこだった私は、彼の発言に感じる小さな違和感をないがしろにしていた。

なんで付き合っていたのだろう。偏見だらけの元カレ

例えば、旅行先の旅館で、彼の席の後ろにあったお茶を飲みたいから「入れて」というと、「なんで俺が入れるの?」と返された。私の実家の味噌汁はだしを入れないと言えば、「だしから作らない味噌汁なんてありえない。俺の家は、母さんが必ずだしから作る」と馬鹿にされ、自慢された。自動車免許の講習で嫌な先生に当たったときは、その先生のことを「クソ婆。だから結婚できないんだ」と文句を言っていた。
フェミニストの話について話していると、「上野千鶴子みたいに、ギャーギャーうるさく言うのは違う。聞いてほしかったらそれなりの態度をとるべきだ」という意見をさも当然のように述べていた。
なんで付き合っていたのだろうと、言動の数々を思い返しながら改めて思う。

彼は、自他共に認めるマザコンだった。
大学院に受かれば一人暮らしをする必要があり、もしそうなれば彼の母親が洗濯物を毎週実家で洗って送り届けると言っていると聞いて、どんなホラー映画よりもゾッとした。そして、それを嬉しそうに語る彼の顔が、余計に私の恐怖を煽った。
きっと、母親からの愛を一切疑わず、当たり前に享受して生きてきたのだろう。

大学院を留年した元カレ。質問される側になれば偏見に気付くかも?

彼とは、大学卒業後、私が海外へ行くことになり、数カ月の遠距離恋愛の末、破局した。共通の知り合いにその後を聞いたところ、大学院博士課程で留年しているらしい。
アラフォーの社会人経験のない大学院留年生で、奨学金という名前が付けられた多額の借金を背負っている男。その経歴は、一歩社会に出れば弱者と見なされるかもしれない。大手企業と呼ばれる会社では、履歴書すら最後まで目を通されることはないかもしれないし、ほかの会社でもお払い箱にされると思う。

私が元カレを変えるなら、まずはそんな社会に身一つで体当たりさせる。まっとうな理不尽と出会い、晒される経験をさせるためだ。自身のことを、冷たい人間だと思う。だけど、それが一番わかりやすい手段だと思っている。

「なんで留年したの?」「なんでその歳で社会人経験ないの?」「奨学金はいくら借りているの?返せるの?」「人生設計はどうなってるの?」「結婚しないの?」
質問「される」側に立たされて初めて、元カレは自分の中や社会に蔓延る偏見に気付くだろう。そう願っている。

「なんで」そう思うのか。自分に問える人間でありたい

この社会では、なんでなんでと聞かれることがとても多い。
分析すると、「なんで多数派から外れた(る)の?」という意味である。その意味を知ったとき、自分の立ち位置以外の場所から、人や物事を正しく覗けるようになると思っている。

「ギャーギャーうるさく言う」のは、そうしないと聞いてくれない、届かない人達が沢山いるから。「結婚できない」のは、「出来ないのではなく、しない選択をした」から。「だしから味噌汁を作らない」のは、仕事を終えて帰宅した後、料理に時間を掛けていられないから。
私が旅館でお茶を入れなかったのは、「なんで私が入れるの?席が近い方が入れればいいじゃん」と思ったから。

来年、海外の大学院に進学予定だ。日本を離れ、知らない土地で生活を始める。そこでも「なんで」と思うことはあるだろうが、私は今までに問われた「なんで」を忘れることはないと思う。
そして、人に問う前に、「なんで」そう思うのか、まず自分に問える人間でありたいと強く思う。