好きな人がいることは当たり前なのか。恋愛に興味がある方が普通なのか。一時は悩んだこともあったけど、「人の心のない」私にとっては恋愛のない人生も全然ありだと思うのだ。
恋バナは盛り上がりを見せた。そして私が最も嫌いな瞬間がやってきた
宿泊行事で、友達は詰めてきた。
中学生の頃、2泊3日の宿泊行事があった。夜、女子が集まってすることと言えば恋バナだ。その時も例外なく恋バナは始まった。
「好きな人いる?」
ある女子の発した言葉がスタートの合図。私にとっては地獄の時間の始まり。
「誰にも言わないでね、私○○のこと好きなんだ」
「薄々気づいてたよ。かっこいいもんね」
「隠してたけど私、○○と付き合ってるの」と、恋バナは盛り上がりを見せた。そして私が最も嫌いな瞬間がやってきた。
「黒は?好きな人いないの?」と、友達は当たり前のように私に聞く。私はその時、というか今も、恋愛に興味がない。好きな人ができたこともないし、彼氏が欲しいと思ったこともない。友達じゃだめなの?と思ってしまう。だからこう答えた。「いないんだよね」まぁでもこの答えで引き下がるわけないよな、と思っていたら案の定「嘘だー。絶対いるでしょ。みんな言ってんだから教えてよ」と詰められた。いや、本当にいないんだけど。好きな人がいない人もいるんだよ。と内心イライラしながらも「本当にいないんだって。ごめんって。できたら教えるから」と角が立たないように返した。
彼女たちは満足してくれない。何度も同じような質問が繰り返された
あーこれで解放される。そう思った。でも、地獄の時間はまだ終わらなかった。「えー。本当にいないの?じゃあ、ましな人は?クラスで1人選んで」
ましな人とは?ましも何もないよ。「いや、ましな人もいない」と答えたのに、それでも彼女たちは満足してくれなかった。何度も同じような質問が繰り返された。これ私が誰かの名前出すまで終わらないやつじゃんと悟った。「好きとかじゃなくて、面白いと思うのは○○」と私が答えたら、彼女たちは満足そうに「もー。早く言えばいいのに」と言った。え?「好きとかじゃなくて」面白い人として彼の名前を挙げたんだよ私は。彼女たちによって、私の「好きな人」は作り出された。そんな人いないのに。
誰が誰を好きとかそういう話は広がるのが早い。あの夜話したこともどこから漏れたのか、ほとんどクラスのみんな知ってた。そして宿泊行事が終わって数日後、最悪の事態が起きた。地獄の恋バナタイムを終わらせるために私が名前を挙げた男子から、告白されたのだ。
めんどくさいことになった。だから恋バナなんてしたくないんだよ。あの日、「いない」で貫き通せば良かったものを、男子の名前を挙げてしまった過去の自分を後悔しながらも、彼にはなんの落ち度もないので、丁重にお断りした。「ありがとう。でも私、彼氏とかいらないからごめんね」。その言葉を聞くと、男子は少し驚きながらも「こっちこそごめんね。これからも友達としてよろしく」と無難な返しをしてきた。
丸く収まったはずだった。それなのに変な噂が流れ始めた。
「あいつ、○○のこと振ったらしい。しかもその時、あなたの人間性が嫌いだからとか言ったらしい」
いやいやいや、言ってないんだけど。むしろ営業スマイルでかなり良い対応だったと思うんだけど。めちゃくちゃムカついた。でも、いちいち否定するのもめんどくさかった。というか、大ごとになって、私の嫌いな「恋愛」という要素がこの先の中学校生活に付きまとうことが嫌だった。
みんな私と恋愛を切り離して見てくれるんじゃないか、と思った
そんな時、仲の良い男子から「聞いたよ。お前すげーな。人の心ないのか」と言われた。「人の心ないのか」という言葉を聞いた時、なぜだか分からないけどすっきりした。私にとって、とても都合のいい言葉じゃないか。この話に乗ろうと思った。人の心がない冷酷人間として生きていけば、許されるんじゃないかって思った。これから恋バナをしなくてもいいし、みんな私と恋愛を切り離して見てくれるんじゃないか。そう思ったら嬉しくなって、「うん。ない。私冷たい人だから」と笑顔で答えていた。
それから中学校では、私は冷酷人間という謎のポジションで、楽しく過ごすことができた。恋バナになっても、「あ、でも黒は人の心ないもんね笑。ごめんごめん」といじってくれるようになったし、いい感じにキャラが定着してそれ以外のところでも楽に過ごせるようになった。
「人の心ないのか」という言葉が、私を心無い冷酷人間へと変えた。しかし、これは私にとってプラスのことだった。好きな人ができないのも、恋愛に興味がないのも「人の心がない」で片づけることができるようになったから。「そもそも私、人の心ないもんな。そりゃ好きな人もできないわ」と開き直ることができるようになったから。みんながみんな恋愛をしたいとは限らない。好きな人がいないのもおかしいことではない。恋愛とは無縁の人生も、「人の心のない」冷酷人間の私には全然ありなのです。