わたしは高校生の頃まで、クラスの委員長や部活動のキャプテンなど、みんなを引っ張るような中心的人物になったことがなかった。どちらかというと、隅のほうにいて、みんなにひょこひょことついていくほうだった。

グループリーダーに選ばれた。「頭がいい」「まじめだ」と頼ってもらえるようになった

看護専門学校に進学し、初めての病院実習の時、グループのリーダーに選ばれた。そのことがきっかけで、クラスのみんなから、「頭がいい」「まじめだ」と何でもできる人のように言われるようになった。みんなに頼ってもらえるようになった。

しかし、テストで「ああ~、今回のテスト自信ないな」とぼやくと、「そんなこと言ってどうせいい点数取るんでしょ」と何回も言われるようになった。実際の私の成績は、47人中13番目で、上のほうであるが決して好成績であるわけではない。その後も、なにかとグループワークをやるときにはリーダーに任命され、やりたくもないのにやっていた。
3年間で12回の病院実習がある。実習では、リーダー・サブリーダー・総リーダーが任命される。12回の実習のうち、9回の実習で何らかの役職をやっていた。

なんでもできる自分を演じるようになった私。弱い自分を見せることができずしんどかった

公平に選んでいると教員は言っていたが、一度もやったことがない人もいる。今思えば、不公平だったなと思う。みんなから、過剰に期待される分、本当の自分はみんなの期待に応えられるほどの力を持ち合わせていなかったため、萎縮してばかりだった。

感想や意見を求められたとき、誰かが相談してくれた時、そのひとの求めている答えを伝えられる自信がないから、当たり障りなことしか言えなかった。なんの力にもなれない自分が情けなかったし、相手に申し訳なかった。

その後わたしは、イメージが定着してしまったため、なんでもできる自分を演じるようになった。そのおかげで、テストの点数は向上し、看護への探究心も深まった。
しかし同時に、弱い自分を見せることができず、いつも笑顔でいた。正直、とてもしんどかった。弱音を吐けないから、ストレスはどんどん溜まっていく。友達にも本当のわたしを見せることができないなら、深く関わることができない。

以前は、周りから『ポジティブ娘』と言われるほどすごいポジティブだったのに、今ではすごくネガティブで心配性になった。きっと今、同じ学校の人はだれも本当のわたしを知らないだろう。そしてこの先も知ることはないだらう。

この先ずっと、自分を演じ続けることは可能であろうか。年を重ねれば見えてくるのか

明日は、卒業式である。3年間、優等生を演じた自分から解放される。
本当の自分はどんな感じであったか、覚えていない。本当の自分で人と関わり、それを否定されることがとても怖い。自分自身を否定されたように思えるためである。春からまた就職し、また偽物の自分を演じると思うと本当の自分はなんでもいいと思ってしまう。

わたしはまだ21年しか生きていない。今後この先ずっと、自分を演じ続けることは可能であろうか。わたしは見られ方ばかり気にして、見せ方が上手くなって良いのであろうか、そのほうが楽なのであろうか。

その答えは、年を重ねれば見えてくるのであろうか。
今は自分を偽ることを恐れているが、また歳を重ねると楽しんでいるのかも知れない。