教育実習担当の先生へ。実習中、あんなに「絶対採用試験合格して教師になる!」と決意を固めたのに、わずか半年で教師を辞めてごめんなさい。

 3週間の教育実習を乗り切れたのは、間違いなく実習担当の先生の厳しい言葉の中にも深い愛情と熱意があったのを感じ取れてたから。
 授業内容の打ち合わせや振り返りをする時、毎回的を射た言葉が出てきてその度に心をえぐられた。次の授業でどんな風に伝えよう?どんな風に生徒と接しよう?そう考えるのが大変ではあるけどワクワクの方が大きかった。そんな3週間を過ごして、自分の中の教師になる決意が固まった。
 最終日、写真を2枚プレゼントしてくれた。クラスの集合写真と、私が授業中黒板に字を書いてる写真。裏面に「米を食え!米を!」と檄を飛ばすメッセージが書かれていた。
 残念ながら地元の採用試験は落ちてしまった為、隣県へ一年間勤めて修行してまた地元の試験を受けようと計画を練ってた。

ようやく「先生」になったのに、待っていたのは無責任な指導教官と舌打ち

 4月赴任した学校で出会った指導教官の先生。当初は「分からない事があったら何でも聞けよ」と言っていた。
しかし、3週間も経たないうちに隣の私の机にまで鞄や物を無造作に広げて来たし、授業内容を相談したり教科内の連絡事項を確認したりする為に「今、お時間よろしいでしょうか」と声を掛けると舌打ちが返ってくるようになった。
 は?何でも聞けって言ってたやん。話が違う。
 でも、教育実習の先生と今の指導教官の先生は別の違う人間だから。同じこと求めちゃダメだ。その前に今、担当してるクラスの生徒に向き合わないと。

「メンターとなる人、見つけろよ」と指導教官の先生が言った。え?何をおっしゃってるの?本来あなたが私のメンターとなるはずでは?他の新任の先生方、それぞれの教科の指導教官に熱心についてるじゃないですか。何をそんな無責任な。
 また、「学生時代、たくさん遊んだか?満足したか?」とも聞いてきた。当時は「大学4年間充実していたし、卒業旅行も行って満足です」と答えた。しかし、後にこの言葉は「この先約40年間、自由な時間無しで働き続けろ」という意味合いで言ったのかもしれないと気づいた。

私のことはまるで無視され、生徒に「嘘つき」と言われてボロボロになった

 同学年同教科の先生はその指導教官の先生(男性)と運動部顧問でその学校のOGの先生(女性)だった。二人とも170cm以上は身長あったと思う。だから、職員室で二人の会話は身長154cmの私を挟んで、私の頭上15cmぐらい上で交わされていた。私がついていけなくて聞き逃して聞き返しても、答えてくれない。向こうから歩み寄る姿勢が全く無かった。

 ずっと職員室で囚われた宇宙人のように間に挟まれて、授業準備や事務仕事をしていても全く捗るばかりか集中力が削がれていく気がした。私は校舎のうんと隅っこに離れた他教科の準備室にいる唯一心許せた先生か、保健室の養護教諭の先生の元へ荷物を抱えて行った。そして気持ちが落ち着くまで泣きながら話を聞いてもらう日々が続いた。
 その瞬間は救われたような気がしても、どんなに話を聞いてもらっても結局具体的な教科の悩みは解決できない。違う教科で、もしくは養護教諭で赴任してたらこの方たちと一緒に働けたのかと思ったら悲しくなった。

 ある日、授業で話したことと中間テストの問題に出した答えの解釈が合わないという事件が起きた。そうならないように授業内容は散々話し合って同じ解釈に統一したのに。授業の前日や授業前の空きコマには「こういう解釈で良いですよね?」「はい」と確認したのに。テストの問題作る時も、答えの要素一つ一つ確認したのに。
「授業の前も、テスト作成の時もこう解釈すると決めましたよね?」
「知らん。俺のクラスではちゃんとこう言った。あなたの所が間違えて伝えてるんじゃないの?」
「いいえ。私は何度もあなたに確認して、その上でこの解釈になったんですよ」
 押し問答の末、結局私が折れた。翌日、生徒にテスト返却して解説した。「嘘つき!」私は何にも答えられなかった。どうあがいても声が出なかった。
 気持ちがぷつんと切れた。あんなに固めていた決意があっさりパリンと割れた。
 もう無理。一年長すぎるよ。途中で異動出来たらいいのに。採用試験もう一度受けるなんてもっと無理。生きるので精一杯。

先生、ごめんなさい。でも、教師辞めたら米を食べられるようになりました。

 私のメンタルのヤバさが誰が見てもおかしいとようやく気づかれる頃。話が学年主任へ、校長先生へと伝わり、それぞれ両者と私で面談をした。1週間休職することになった。
 当初は天国のように感じていたが、1週間なんてあっという間に終わった。全然回復も何もない。さらに診断書を出して数か月休職した。
 そして久々に行った学校。職員室で見たのは、私が高校時代から愛用していた辞書に貼ってあった見知らぬ付箋。おそらく私の代理で入った非常勤の先生が学校の備品だと思って使ってたのだろう。その先生に罪は全くない。でも、なんで一言周りは何も言わなかったんだろう。もう私が居なくても学校回るもんね。この仕事してなかったらその辞書、もう要らない。
 机に残してた僅かな私物を引き上げ、片付けて、挨拶して、退職届を出して帰った。

 退職直後は「これでもう学校行かなくて良い」と、ほっとした。時間が経つに連れて、教育実習担当の先生への申し訳ない気持ちが膨らんでいった。ただでさえ大変な中、必死に色んな事教えてくださったのに。
 人生、棒に振ったな。
 何も成し遂げていないまま辞めてしまった後悔と無力感が募った。

 教師をしててご飯の味しっかり感じられたの、何日あったかな。もう後半は、美味しいのかまずいのか分からず咀嚼して胃に流してた。あれから4年経った今はすっかり元気に、白ご飯もりもり食べれるようになった。職場も飲食店で「いらっしゃいませ!」って声出して厨房へ客席へ動き回ってる。
 次に春が来たら、ここで働き出してもう2年になる。
 自分でもびっくり。生きてる実感を得て今、何とか働いているこんな私をどうか許してください。