私が父親に疑問を感じ始めたのは、大学に入ってからだった。それまでは付かず離れずの、至って普通の親子関係であったと感じている。
仕事を円滑に行うために仕方なく、寮の管理人と仲良くしていた
私の両親は女子教育にも理解のある親で、塾や参考書等に惜しみなくお金を投資し、高い学費を払って地元トップの私立中高一貫校に通わせてくれた。大学においては、浪人も上京も許してくれただけでなく、比較的一人暮らしより高い寮費の支払いにも同意してくれていた。
この寮において、私は縁あって学生リーダーを務めることになった。男2人、女2人で構成され、主な仕事は学生と管理人の仲介である。そのため、管理人と仲良くなることは鉄則だった。
この管理人は、絵に描いたような昔ながらの男性。「女なんだから~」という言葉を連呼され始め、私は初めて女子であることに気がついた。これまで女子校生活であったため、意識したことはなかったが、ここで社会というものを、まざまざと見せつけられたのである。
もちろん不愉快ではあったが、特に何も言わなかった。なぜならこの男性は、反発せずに笑顔で肯定してくれるお淑やかな女性を評価してくれていたからである。仕事を円滑に行うために仕方ない、そう思っていたし、今でもその考えは変わらない。
リーダーを務めていた、もう1人の女性は、こうした管理人の言動に積極的に反発していた。そうしたらどうなったか。想像に難くないであろう。
「女性である」と認識してから、父の一言一句が気になるようになった
冒頭に戻るが、女性であると認識した私は、父親の一言一句が気になるようになった。父親は「女性管理職を増やす取り組みは間違っている。男女関わらず優秀な人を取り立てるべきだ」と言った。
言いたいことはわかるが、強い反感を覚えた。優秀な女性が取り立てられない社会を作ってしまっている元凶は男性であって、この言葉を男性が言うべきではないと。そう言われると、過去のことも色々と思い出してくる。
私が〇〇大学に通いたいというと「お前には無理だ」と父に言われた。また、「太っている」と容姿の指摘をされた。言い出せばキリがない。
父親と何年も話さない日々が続いたが、就職活動を機にまた連絡を取るようになった。初めは利用してやろう、それくらいの気持ちだったが、相談をする中であることに気がついた。
父親は、私の能力をきちんと評価してくれている。それも、自分よりも優秀に育ったと思ったうえで応援をしてくれていると。たしかに、初めは無理だと言われた難関大学への進学も、今では父親が憧れていた大学への進学が叶っている。
女性と男性が、対等に渡り合うための「同じ土俵」に立つために
父親は、典型的な古典的男性だ。それは、今でも変わらない。能力をつければ、それだけ評価してくれる、それに気がつくことができた。女性であることに、もちろん今でも不自由を感じている。
しかし、社会が変化し主張がしやすくなる中で、やはりそれが主張できるだけの能力を身につける必要があると考えている。そうすることでやっと、対等に渡り合うための土俵に立つことができるのだ。
父親の変化を機にそれに気がついた今、私はさらに学ばなくてはならないと感じている。父親の言った「男性女性関わらず」活躍できる社会の創出のため、まずは私は父親と対等に張り合えるだけの社会人になりたい。