「そんな子に育てた覚えはない」と泣いた母の一言。
そういって泣かれたのは、「結婚してほしい」とプロポーズしてくれた彼がいるという話を家族にした後だった。

彼は、バツイチ、子持ち、一回り以上年上。
彼が前の奥様と離婚したのは、5年以上前のこと。子どもさんは、前の奥様との間にできた子。私と父の関係を考えたときに、羨ましいと思ってしまうほど、とてもよい父と子の関係。週に数回は食事に行くなどの、休日を過ごしている。子どもさんの話をする彼の様子は、微笑ましくて、私を笑顔にしてくれる。

母は涙と一言の後に、「彼の子どもさんを悲しませることになる。もし二人の間で子どもができたとしても、その子どもは、愛情の差で苦しむこともあるかもしれない。応援できない」といった。

母が考える幸せが本当に私の幸せなのかが分からなかった

私は、ショックだった。でも、私の幸せや私の人生を考えてくれているのだ。これも母の優しさなのだと受け取った。
だから、「結婚することや、子を授かること自体が、はたして私の幸せなのか。私にとっての幸せとは何なのか」と考えてみたりもした。でも、正直わからないし、漠然とした不安が襲ってくることもある。

その一方で、母の言葉の中に、もやっとしたものも感じた。私と彼が結婚するのであれば、まず「子育て」、そして「結婚」と順番に考えていく必要があると思っている。
その「子育て」、彼の子どもさん、私と彼の間の子、つまりは「人との関わり方」という点で、母と私には考え方の違いがあると感じた。

それから私の時間の中で「子育て」そして「結婚」を考えることが増えた。

血は繋がっていなくても、目の前にいる「人」と一緒に生きていきたいんだと気づいた

「少子高齢化」が日本の社会問題と長年言われ続ける中で、子育てしづらい環境や仕組がある現実。
子育てをする人たちへのハラスメントなどがニュースになっているのを見て、「子育てにこれほどの困難があるのであれば、私は子どもは欲しくないかも」という気持ちも持つようになった。
そんな思いを持ちながら彼との「結婚」を考えたときに、まず「子」とどのように関わっていけるのかを考えるようになった。

血のつながり、一番身近な存在だからこそできることがもちろんある。でも、人と関わることで成長できること、血のつながった家族とは違った関係が生んでくれる成長もあると思う。
私の中には、彼の子どもさん、彼との間に授かる子、どんな子を前にしても「子ども」を育てるという感覚を持ちたい、目の前の「人」に、優しい気持ちで、今を一緒に生きているんだよ、と寄り添いたい思いがあるのだと気づいた。

けれどそう思っていても、彼との「結婚」を喜んで選べずにいる私がいる。彼の子どもさんに「お父さんを取られてしまった」と悲しい気持ちにさせてしまうかもしれないと不安に思っているからだ。

「私たちは幸せなんです」と自信を持って生きられる選択がしたい

学生の時に、恩師と「子育て」と「結婚」について一緒に話したことをふと思い出した。「『子どもがほしい』と思うペアにとって、今の日本の社会制度は『結婚』し、『夫婦同姓』を選択した方が、経済的、公共サービス的にも何かと良いから、それを選ぶペアが多いのかもしれない」と。その時は話をしながらも、あまり実感がわいてこなかった。
でも実際にその境遇になってみると、今の私にとって、「結婚」や「夫婦同姓」が生きづらくさせる選択になってしまっているかもしれない。

彼とこれからも幸せな時間をつくっていくために、「結婚」が必ず必要なのかはまだわからない。でも、私たちにとってのベストの方法を見つけ出したい。「私たちは幸せなんです」とその選択に自信をもって一緒に生きられればと思う。

だから、「幸せのカタチはみんなそれぞれ」だということを、ベーシックはないのだと、私は大切に思って生きていく。