「結婚したら幸せなんですかね?」この手の問いに私はいつでも答えを用意できている。私は、まだ大学生で、未婚で、それこそ彼氏さえいないけれど、結婚に関してある程度見識があると思うのだ。だって、小中高を通して一番時間とエネルギーを費やしたのは、勉強でも部活でもなく、周期的な家庭内不和を恐れ、父親が帰ってくるのか心配し、母親への公平性を保つため父の愚痴に反対意見を述べることだったのだから。結婚して、損なのは圧倒的に女性側だよ、というのが本音だが、「皆、結婚した方が幸せだと思ってするんじゃない?」と答えたら、問いかけた後輩の女の子は満足したようだった。

結婚において、世の中男性優位じゃない?

うちの父親はずるいと思う。母親が仕事と家のことで遊べない一方で、父親はジムやら英会話やらに通い、家で妻の用意したご飯を食べ、好きな時に飲みに行って、一人旅行をしてきた。
それでも母親は、そんな父親を前に、平等という、理想というには基本的すぎるものを掲げて戦っている。家事を二分することは諦めたが、勝手に料理が出来ていて食べさせてもらえるのが当たり前なんてあり得ないので、自分から用意したり頼んだりしなければ、母親は先に食事を済ませてしまう。20年前一人目の子どもが産まれて半年で一人旅行に出かけた父親を見て、2人目を産まないと決めたのも母親。自分の車に父親の趣味を強要されるのも、勝手に自分の行動が決められているのも許さない。自分の趣向に基づいた理想を求める父親にとって、これらは不満でたまらない。父親は自分の思い通りにならないと癇癪を起す。それで、家庭に嵐が吹く。

よその家庭を見ていると、奥さんが気を利かせている光景をよく目にする。「おとうさん、ご飯にしましょう。」「ビールは要りますか。」なんてうちではありえないが、母親がちょっと気の弱い人だったりすれば、うちもそうだったろう。

家庭を大切にする男性が子育てに参加する機会は確かに増えたかもしれないが、子育ての主体も、多くの場合は家事の責任者も未だ女性だ。幼い子のいる女性が夜中まで出歩いていれば後ろ指をさされるが、男性なら問題視されない。既存の働き方が見直され、女性が働きやすくなったと言っても、女性が仕事をセーブして子育てをしながらでも仕事が続けやすくなったという程度のことである。男性は子供が生まれる時期でも昇進や新規事業を手掛け、無意識に子供のために仕事を減らすのは妻でしょと多くは考える。女性はその前提でライフプランを組む。子供のいる女性がキャリアを求めれば、仕事の業績という男の物差しに縛られる女が可哀想だと見下される。

体の造りが違うから分業しているだけだという言い訳は、あまりにも男性に都合がよい。身籠っているときは強制的に体を子供に支配され、出産後も自動的に家庭内での役割を決められてしまい、自由や周りからの称賛を夫に独占されてしまうのはおかしい。

俯瞰した結婚の幸福感の指標

しかしである、もし好きになった人が私が料理を出すのを待っていたら、きっと喜んで食べさせてあげる。その人が好きな服を着て、趣味も合わせて。結婚してくれと言われたら、彼の期待を裏切るのが怖くて、彼の理想の家庭が自分の理想だったと考えてしまう気がする。きっと母親のように強気で譲らないなんて出来ない。ああ、これではダメだ。世の奥様方は皆この罠にひっかかったのだろうとも思う。

そういう、「一生」誰かの女になる「幸せ」を手にしたくなるかもしれない。愛は全てを超えると夢見ることも否定しない。でも、徹底的に平等の感性を磨かれた私にとって、そんなアンフェアな関係が一生続いていいはずがない。そして、アンフェアな事例がまかり通っている世の中に妥協したくない。
結婚するときはきっと幸せと感じるだろう。けれど、そのときの幸福感だけが結婚の指標ではおそらくない。