なにかサービスに登録する時や書類を書く時、記入者の性別を選ぶ欄がある。その欄が「男」か「女」で二分されているのを見るたび、もやっとする。自分の性別をこの二つの中でしか選べないことや、その中で「女」しか選べないことに対しての違和感が襲いかかってくる。
わたしはXジェンダーだ。

わたしはあくまでも「わたし」。どちらかに分類されたくない

Xジェンダーとは、とても簡単にいうと自分自身の性別を「男」か「女」のどちらか片方に分類できないと自認しているひとたちのことをいう。いわゆるセクシュアルマイノリティーに当てはまる。
Xジェンダーにもいくつか種類があり、わたしが自認しているのは「無性」だ。俗っぽく言い直すと「性別・のはる」。わたしはあくまでも「わたし」であって「男」か「女」のどちらかに分類されたくない――というのがわたしの意思表示だ。

Xジェンダーを自認したのはここ一、二年のことだ。それまでも、自分が「女」に分類されることへの違和感は常にあった。身体は確かに「女」だけれど何かが違う。しっくりこない、と。「女」に分類されたくないから「男」になりたいと思っていた時期もあったけれど、Xジェンダーを自認している今では、それはズレた願望だったと分かる。

新卒で入った職場はゴリゴリの男社会。毎日が違和感との闘いだった

この違和感を強く意識させられたのは、社会人になってからだった。
新卒で入った職場は、ゴリゴリの男社会だった。元々男性に苦手意識がある上に人見知りだったわたしは、職場に慣れるまでに苦労した。毎日が違和感との闘いだった。
自分が「女」として枠にはめ込まれ、「女」として「女」らしくすることを求められることへの違和感。
「男」と「女」で明確に区別され、そこから出る言動は許されないことへの違和感。
そしてその区別は外側から判断ができる部位によって行われることへの違和感――数えればきりがない。

「男」でも「女」でもなく「人間」として接して欲しい。「のはる(女)」ではなく「のはる(人間)」として扱ってほしい。
この願望を、職場で表明することは終ぞなかった。これらの違和感以外にも様々な理由があり、二年もしないうちに退職し母校の大学院へと進学したからだ。

しばらくの間、消去法を使って性別欄は「女」を選んでいたけれど

大学院でジェンダーやセクシュアルマイノリティーについて研究をしていく中で、Xジェンダーの存在を知った。
そして二十数年生きてきて、ずっと抱えていた違和感の答えを、前の職場で「女」扱いされるたびに苦痛だった理由を、ようやく見つけて腑に落ちた。
それでもしばらくの間は、性別欄は「女」を選んでいた。Xジェンダーではあるけれど、少なくともわたしは「男」ではない。消去法を使った結果だった。

けれど、性別記入欄に「男」「女」、そして「その他」があるのを初めて見た時。
まさしく雷に打たれたかのような衝撃を受けた。Xジェンダーという言葉に出会った時以上の衝撃だった。
ああそうか。選べるのか。
絶対的で、変えることは出来ないと思っていたその性別欄は、自分の意思で選択することができるのだ、と。

「その他」と違う表記が必要だし、性別を書かないという選択もある

とても小さなことだとは思う。性別欄の選択を「女」から「その他」にしたところで、特に困ることはない。「女」を選ぶことに、わたしがただ違和感があるだけだ。
それでも性別欄で「その他」を選ぶのは、「男」と「女」のどちらかを選ばせてくる社会への抵抗なのだ。自分は「男」と「女」で二分できる存在ではないと、自分の意思で選ぶことができる。それが「女」しか選べないと思っていた頃のわたしにとって、どれだけ大切なことか。

「男」と「女」の二元論に因る「その他」という選択肢にも問題点はある。もっと違う表記が必要だし、最近では性別欄を廃止する履歴書が発売された。性別を書かないという選択肢もあるのだ。
その社会の動きを知ったうえで、ひとまず性別欄は「その他」を選ぶ。
そう遠くない未来に、そこで「その他」以外を選べると信じて。