人生には、何度か分岐点が訪れる。
私はその人生の分岐点という名の壁にぶち当たる度、いつも酷く打ちのめされて来た。
初めての「分岐点」は両親の離婚だった。よく聞く「お母さんとお父さんどちらについてくる?」という質問を現実に受け、案外冷静にどちらについていくべきかを考えた。

私は小さい頃から母と上手く折り合いがつかなかったが、彼女と住む事を選んだ。
いや。本当は「折り合いがつかない」どころではなかった。
母は父親似の私を酷く憎んでいたし、私は母が怖くて仕方がなかった。
「あんたが産まれてから私の人生が狂った」と目を真っ赤にしながら泣き叫ぶ姿は、今でも脳裏にこびりついている。

父も親戚達も、私と母の関係の悪さは知っていた為、2人で暮らすと決めた時大反対された。
だが、子供ながらに情緒不安定な母を1人にする事の恐ろしさが、私と彼女の二人暮らしの背中を押した。
暮らし始めてすぐに周りの心配は的中した。今まで以上に悪化してゆく関係に耐えきれず私は家を飛び出した。

母と言う存在に愛されたかった私たちは自然と仲良くなった

その頃ずっとそばにいてくれたのがサワちゃんだった。
サワちゃんは人当たりの良い明るい女の子で、誰とでもすぐに仲良くなる事のできる社交的な子だ。
その小さな体のどこから湧いて出るのかわからない程、いつも元気ではつらつとしていて、初めはそんな彼女の事が苦手だった。
自分とはまるで違う心の底から湧き出るキラキラした笑顔が、あまりに眩しかったからだ。

ただ人間は色んな面を持っている。
どんなに明るい人でもその裏に影はある。サワちゃんも例外ではなかった。
「実の母親とはもう何年も会ってない。でも寂しくない」と唇を噛みながら缶コーヒーをギュッと握りしめた彼女が、逞しくて眩しかった。
国道沿いの花壇に腰をおろし、私たちは朝までお互いの話をした。
ただ母という存在に愛されたかった2人の「子供」が仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。

家を飛び出し行き場の無い私を、サワちゃんは毎晩泊めてくれた。
通っていた高校から出席日数が足りず留年になる事を電話で聞いた時も、サワちゃんが横に居て笑いながら励ましてくれた。
早くひとり立ちしたかった私は高校を辞め、朝から晩まで働いた。

名前のつけられない関係の私たち。ある日、転勤の話を聞かされて

あの頃の私達は、友達とも恋人とも家族とも少し違う不思議な関係だった。
彼女が側にいると、心に吹いた風がピタッとやんだように思えて温かくなった。
だけどお互いの仕事がどんどん忙しくなっていき、会う時間は減っていった。
忙しさが心の隙間を埋めてくれる事に気が付いた私は、どんどん仕事を詰め込んだ。

ある日、久しぶりに会ったサワちゃんから遠くへ転勤になる事を聞いた。
「さみしくなるね。でも会いに行くからね!」
そんな言葉を繰り返しながら寂しがる私をサワちゃんは笑った。

店を出て帰路に着く頃、外は既に明るくなっていた。
サワちゃんが「いつか連れて行こうと思ってた綺麗な場所通ってみる?」と言って、川沿いの桜並木に連れて行ってくれた。

10年経った今でも心の中にしまってある桜色の光景

地面には散った桜の花、流れる川には桜の花がゆらゆら浮いている、見上げれば満開の桜の花で空が埋め尽くされていた。
そんな嘘みたいに綺麗な桜並木を、2人で地面に落ちた桜を舞い上げながら走った。
あれはきっと私達が「子供」だった最後の春だと思う。

あの嘘みたいに綺麗で一面が桜色だった光景は、10年以上経った今も心の中に大切にしまってある。
今はなかなか会えなくなってしまったあの子の事を思いながら、今年も春をたのしみに待つ。