柔らかくて暖かい春の日差しに照らされて、桜の花を見る。朝露に濡れた芝生の上で、大好きな友達と甘いお菓子をつまみながら笑い合うお花見には、この世の幸せがすべて詰まっている。毎年桜が咲くと、とにかく居ても立っても居られない気持ちになり、ひとりで夜桜を見に行ったり、友達を誘ったり、車を出しておばあちゃんを連れ出したり、毎日桜を見に行く。桜と春が大好きでたまらないのだ。全ての命が動き始める春が来たことが嬉しくて、浮かれポンチになってしまう。間違いなく四季の中で春が一番好きだ。

私の心をかき乱す桜。この言葉に出会ってから、その見方が変わった

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と在原業平が詠んでいたが、実に真理である。桜という存在が無ければ、もう少し落ち着いて春を過ごせるのだろう。それほどまでに私の心をかき乱す桜であるが、ある言葉に出会ってからその見方が大きく変わった。

「桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやってはくださいませんでしょうか。花の供養に」

 誰の言葉かお分かりになった方とは、夜通しお酒を酌み交わしたい。これは、坂本きよ子さんという水俣病患者の女性のお母さんの言葉だ。水俣病とは今から約50年前に発生した公害病で、脳の中枢神経を破壊され、手足がねじれ視野が狭窄し、口が利けなくなる重篤な病だ。ここに登場するきよ子さんも水俣病に罹り、20代で亡くなる。

 ある春の日、きよ子さんは、庭の地面に転がっていた。ねじれた指で一生懸命桜の花びらを拾おうとしていたのだ。花びらはその手に上手く拾われることなく、地面に擦り付けられるようにつぶされていた。

 上の言葉は、その様子をみたお母さんが後に語った言葉だ。

涙があふれた。私と同じ20代の女性の望みは、桜の花弁を拾うこと

 私と同じ20代の女性のたったひとつの望みは、桜の花弁を拾うことだった。高校時代の恩師にこの言葉を紹介された時、涙があふれてやまなかった。やるせなくて、こんなことが許されていいのか、という怒りも湧いて、どうしようもなかった。

 友達とショッピングに行ったり、お化粧をしたり、素敵な彼とデートをしたり。私も含め、20代の女性が当然のように享受する喜びを、全て奪う水俣病。肘から血を出し、ねじれた指で花びらを拾おうとするも、地面ににじりつけるようになってしまう。

 到底言葉で語ることができないほどの悲しみが、この文章に閉じ込められている。花びら一枚一枚に悲しみが込められた桜が咲いているようだと思った。

 これまで私にとっての桜は、春の象徴だった。生命の息吹を感じ、喜びにあふれたものだった。しかし今は、変わった。

桜は、会ったこともないきよ子さんと私を繋いでくれた

 私もきよ子さんも同じ、桜という存在に心躍らせたひとりの女性だ。生まれた時代も環境も全く違うけれど、確かに同じ感覚を持っていて、同じように美しいものを愛でる気持ちに満ちていた。桜は、会ったこともないきよ子さんと私を繋いでくれた。

 今、私にとっての桜は、祈りを捧げる存在だ。遠い春の日、水俣の片隅で彼女が抱いた望みに、深い祈りを捧げたい。あなたの思いは、50年以上後の埼玉に住む女性にも届いていますと伝えたい。なんで私ばっかり…と落ち込む夜も、あなたのことを思うと頑張る力が湧いてきます。

 今年の春も私は、たった一枚の桜の花びらを拾う。きよ子さんの代わりに、きよ子さんへの祈りに、そして花の供養に。

 もしきよ子さんにご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ぜひ石牟礼道子さんの本を一度お読みになってみてください。朝日新聞社好書好日の書評がおすすめです。