「アスファルトの上に落ちる花は、不憫だ。土に還れない」
都会に出て初めて、桜が道路わきに生えているのを見た。それまで、ど田舎育ちの私は、山に咲いている桜しか見たことがなかったから、「本当にこんなところに桜がある。しかも、山と違って、まっすぐに、お行儀よく生えている。アスファルトの下の根っこはどうなっているんだ」と驚いた。
絨毯のように敷き詰められた桜の花びらを見て、不憫とも思った
興味津々で桜のまわりを観察した。一通り、見て満足して、歩きだしたところで、いきなり突風が吹いて、桜の花びらが舞い上がった。美しかった。私はというと、髪の毛を必死に抑えながら、その場でよろけないように踏ん張っていた。
ようやく風が止んで、重力に逆らえず、アスファルトの上に桜の花びらが落ちた。歩道に敷き詰められていく花びらを見て、絨毯みたいだと思った。他方で、「不憫だ」とも思った。山桜は、盛りが過ぎて花が落ちても、土の上で腐った後、落ちた場所にある他の植物たちのための養分になる。「朽ちた後も、次に生きるものたちの糧になる」というところが、妙に心に響いて、私は、山桜の命の循環に対して、ひっそりと憧れを抱いていた。それが、目の前のアスファルトに囲まれた場所に咲く桜はどうだろう。土に落ちなかった花びらたちは、他の植物の養分にはなれない。ただ、歩道のアスファルトの上に、茶色くなって貼りついている。
花びらを踏みしめた瞬間広がる甘い芳香は、心に活力を与えてくれた
その命を活かす道を断たれた花びら。私にはどうしてやることもできない。少しブルーな気持ちになりながら、再び歩き出した。地面に落ちている桜をできるだけ、よけながら進んでいたが、いよいよ足の置き場がなくなった。進むには、桜の降り積もっている場所を踏まざるを得ない。そうして私は、覚悟を決めて、アスファルトの桜を踏みしめた。
その瞬間、私の重みで潰された花弁から、ふわりと甘い芳香がのぼってきた。どこか落ち込んでいた気分が、やさしく塗り変えられていく。吸い込んだ空気から、生命のみずみずしさを力強く感じる。そこで、気づいた。私は、桜の命の巡り方を一つに決め込んでしまっていた。確かに、アスファルトに落ちた桜の花びらは、他の植物に栄養を分け与えることはできないだろう。が、その代わりに、私の心に活力を与えてくれた。
アスファルトの桜は、教えてくれた。誰かの役に立つ方法は、一つに定められてはいないこと。もしかしたら、自分がにっこりと笑っただけで、誰かの心を温かくしているかもしれないと考えさせられた。明らかに養分として役に立てる腐葉土にはなれなくても、誰かの鼻孔をくすぐることが、あるかもしれない。