2019年、冬。私は大学1年生で、世間より一足早く、寒空の下、春休みを謳歌していた。
 所属していた軽音サークルでは、3月に卒業ライブをおこなう予定だった。お世話になった先輩と一緒に演奏する最後のステージを思い浮かべ、胸にこみ上げるものを感じながら練習に励んでいた。

 ある日、テレビで聞き慣れないウィルスの名前を目にした。コロナウィルスという病気は、その発生源からしても不気味なものであった。嫌な胸騒ぎを感じつつも、いつもと同じように小さく「行ってきます」といい、友達との待ち合わせ場所に向かったことを覚えている。

 その日も、口紅を念入りに塗ってから出かけた。そしてゲラゲラ笑いながら練習した後に、カラオケで一騒ぎして帰るのが「いつもの」だった。
 高校で仲の良かったグループでランチに行ったのも楽しかった。美味しそうだねと言ったケーキを、少し分けてもらうこともあった。友達の家に集まり、崩れたたこ焼きを頬張ったことも忘れない。ぎゅう詰めの電車に揺られて、遠くまで旅行に行ったのも楽しかった。

世界に生きているのは自分だけではないかという気さえした

 2020年、春。次第に暖かい日が多くなる外を眺め、少し遠くまで散歩に行こうと決意し、マスクを手に取る。歩いて地元を散策することは、今までにない経験だった。
 その日は、4月も半ばだったからだろうか。大通りを歩いているはずなのに車が一台も通らず、この世界に生きているのは自分ひとりなのではないか、という変な気分を催したのを覚えている。そのあと3人ほどとすれ違いつつ、約2時間歩いて、目的だった場所にたどり着いた。
 川沿いに、桜が咲き乱れていた。
 風が吹く度チラチラと落ちる花びらの下、老夫婦が手を繋いで、時の流れに合わせるようにゆっくりと散歩していた。その他には、私しかいなかった。いつものこの頃、屋台が出て、人混みに流されるはずの川沿いであった。
 突如世界中を襲ったコロナウィルスという目に見えない脅威は、ノアの洪水伝説さながら、あっという間に、それまでの世界の形を変えてしまった。
 私は日記をつけるのを習慣にしていたが、当時、ダイイングメッセージのような言葉遣いでこう書いていた。

 「やるべきことは、この先私は何をしたいのか?興味を注げるものに巡り会うこと。生きる意味を探したい。私だけの理由。この一年が私の人生だ。自分が生きる意味を見つけて」

 縋るように綴られた、弱音であった。今まで当たり前だと思っていたこと、進むべきだと思っていた道、必要だと思っていたものを全て否定された状態で、世界のどこに安寧を築けばいいのか、どこに拠り所を見いだせばいいのか、自分は何がしたいのか、わからなかった。

 それから私は、その言葉の通り、「私だけの生きる意味」を模索し続けた。自分が心から惹かれるものを心の内に取り込むことに、積極的になった。つまり、周りの気持ちを気にするよりも、自らがしたいことを優先するようになったのだ。

世界が変わっても、何かのせいにして後悔をしたくなかった

 世界の流れや常識、世の中の仕組みに抗うことなく進もうとしていた道に疑問を抱くことは、想像を絶する痛みを伴った。何故なら、これまで歩んできた人生と真っ向から勝負しなくてはならなかったからだ。
 それでも前を向いた理由は、「何かのせいにして後悔したくない」という一心であった。
 これは、新たな自分との出逢いと、人生の再スタートのきっかけとなる。
 そして、2021年1月現在。今、私は、人生を捧げられると信じられるものに出逢えたのか。それはまだ分からない。しかし20年の人生のなかで最もはっきりと「自分の人生を歩もうとしている!」と胸を張って言える。その意味で、2020年は、「私だけの理由を、生きる意味を見つける」ためのステップをしっかりと踏めたのだと思う。
 そこで、来る2021年に向け、宣誓する。
 「他の誰でもない、自分だけの人生を、自分の足で踏みしめていく。」
 辿るその道には、笑顔が咲き誇ることを、誓う。