私が世界を変えるなら。
昔から植え付けられた生理=“隠”のイメージを払拭したい。

私は生物学上、女性として生を受けて27年経つ。生理とはもう15年以上の付き合いだ。
おぎゃあと母のお腹から出てきてから今まで、まるで息を吸って吐くように、当たり前に女の子として生きてきたけど、「私は女性」だということを改めて再確認したのは小学5年生の保健の時間だった気がする。

私たちは詳しい説明も受けず、よく分からないまま男子と女子に教室を分けられて、そこから始まる保健の授業。記憶が曖昧だけど教科書とかビデオを見ながら生理の仕組みについて学んだ。

隠すようにしまった生理用品。女子の大変さも男子に知ってもらいたかった

母の話や当時の愛読書だったティーン雑誌からぼんやりと知っていたはずだけど、自分の体でそんなことが起こるなんて他人事のように思えて不思議だった。授業の最後に生理用品が女子全員に配布されたけど、みんな隠すように引き出しやランドセルにしまって、私も隠すつもりはなかったけど例にならって男子が教室に戻る前にランドセルにすぐにしまった。

その授業後、男子と女子の間には何とも言えない気まずいような、お互いを探り合う空気がもやもやと流れていた。お互いどんな授業を受けたのか知らないから気になるのは当然だったと思う。

どうして教室を分けなくちゃいけなかったんだろう。お互いについて知っていた方が、相手が辛いときに助けになることも出来るし、少しでも痛みや相手の気持ちを理解することが出来たのではないだろうか。少なくとも私は男子には「これから毎月生理がやってきて、女子は頑張ってるんだよ、大変なんだよ」ってことを知ってほしかった。

「おめでとう」と言われたはずなのに。どうして隠す必要があるんだろう

私たちは初潮を迎え、中学・高校生になると生理は『女の子の日』や『アレ』、『血祭』と可愛いものから物騒なものまで、私たちにしか分からない呼び名で呼ばれ、生理用品を忘れた友人から「アレが始まったんだけど持ってない?」と聞かれたときには周囲に気付かれないように、そっと、さりげなくハンカチに包みながら、でも確実に手渡す。まるで麻薬密売取引でもしているかのように。

でも、どうして生理だってこと隠さなくちゃいけないんだろう。頭痛薬や絆創膏は堂々と「はいどうぞ」と手渡すことが出来るのに。

初めて生理になったとき。母や祖母が戸惑う私に「おめでとう」とお赤飯を炊いてくれてお祝いしてくれたことが、まだ子どもだけど大人の仲間入りをした感じがして、嬉しかったけど、すごく恥ずかしかったのを覚えている。

でも、お赤飯を炊いてくれたってことはおめでたいことなんじゃないの?どうして隠さなくちゃいけないことなの?
そうしてこうして、私たちが健康であり、妊娠をしていなければ生理は毎月当たり前にやってくるのに、まるでその状態が恥ずべきことかのように隠しながら、周囲にごまかしながら、私は大人の女性になった。

自分の身体についての知識を社会や学校でも学べる機会を増やしてほしい

私たちが自分の体についてまともに勉強する機会が与えられていたのは、保健の時間だけだったと思う。あとは友達に相談したり、ネットで検索したり。自分が世間でいう大人の女性になっても自分の体について詳しく知らないことが、恥ずかしながらたくさんある。
生理周期や基礎体温。PMSも調べてみるまで全然知らなかった。

私は思春期の頃は生理痛があまり酷いほうではなかったから、辛そうにしている友人を見るととても心配になった。だけど大人になるにつれて痛みが強くなることもたまにあり、その時に初めてネットで痛みの原因や対処法を調べた。
仕方のないことかもしれないけど、実際に当事者になるまで私は自分の体について正しく理解していなかった。知ろうともしていなかった。だから、当時の友人の痛みも分かることが出来なかった。

女性として生きていれば、生理が来なかったり、妊娠したかもしれないと不安に思ったり、その当事者になったときに初めて調べて情報を得るということが多くあると思う。
だからもっと、大人の女性になる前に、女性として知っておくべきことは学生のうちから正しい知識を身に着けておくべきだと思う。学校でも社会でも学ぶ機会をもっともっと増やしてほしい。

生理について「分かってくれ」とは言わなくても、せめて知っていてほしい

私の職場は女性が私しかいないので、生理の大変さを共感してくれる同性はいない。
生理前や生理中は、仕事に対するやる気はあるのに、どうしても体が重くて、だるくて、眠くて仕方ない。「あぁ、きっとやる気ないと思われてるのかな。」なんだか悲しくなる。
こんな時、PMSについて知っててくれたらな、理解してくれてたらな、と毎月生理痛と戦いながら考える。

生理について分かってくれとは言わなくとも、せめて知ってくれていれば、異性が感じる私たちの態度や様子の変化に対する受け取り方も少しは変わったりしないだろうか。
生理用品のCMは見ない日が無いくらい頻繁に流れているのに、私たちがそれを周囲に隠しながら生活するのってなんだか変じゃない?

最近はYouTubeやInstagramで生理や性教育について投稿が増えたり、テレビでも生理の話題が取り上げられたり、少しずつ生理=“隠”のイメージは取り除かれているけれど、私たちの日常までにはまだ及んでいないのが現状だ。

生理は月に1度しかない大事なイベント。だから堂々としていたい

もっと私たちが生理とオープンな付き合い方ができますように。
生理について異性が知り、理解してくれる世界になりますように。
私たち女性が自分の体について理解し、自分を大切にできる世界になりますように。

そう願いを込めて、私はいつも生理用品をお気に入りのゴブラン織りのポーチにしまってその日が来るのを準備する。

だって生理は月に1度しかない大事なイベント。お腹も痛くなるし、食欲も爆上がりでポテチとか食べたくなるし、顔もむくむし、体もだるくてついイライラしちゃうけど。来るのを楽しみにしてた方が気分も少しは上がるでしょ?
生理1日目にはそのお気に入りのポーチを持って、私は堂々と女子トイレへ席を立つのである。
「私、ただいま生理中だけど毎日頑張ってるよ!!!」