私は、高校2年生の夏休み前、とある授業を受けているときに失神した。気を失って倒れたのは、後にも先にも、そのときがはじめてだった。
それは、保健の授業だった。扱われた内容は、性教育。避妊方法などの説明だったと記憶している。
保健の性教育の授業で、気分が悪くなった私は、失神した
私は、もともと性教育関連の話題が苦手だった。小学生のころ、女子だけ体育館に集められて説明された月経の話も、半ば気分が悪くなりながら聞いていた。自分にとって大切な話であることは理解していても、どうしても苦手だったのだ。
私が失神した保健の授業も、始まってすぐに気分が悪くなるのを感じていた。その日の授業は、青少年への性教育活動を行うNPO法人の方が、ゲストスピーカーとして来ていたため、教室ではなく特別教室で行われた。大きなスクリーンに映された生殖器などの画像を見なくていいよう、目を閉じた。
しかし、講師の話は耳から入ってくる。意識しないようにすればするほど、まっすぐにその声は入ってきた。額には汗がじんわりと浮かび、机に置いてあった水筒を取ろうとしたとき、目のまえがぐるぐる回っているのに気がついた。
手遅れになる前に、そう思って「先生、気分が悪いので……」と手をあげて席を立ったところまでは覚えている。そして、失神したのだ。
次に気がついたときは、保健室のベッドに横になっていた。自分でも何が起きたのかよくわからなかったが、保健室の先生は、「授業の内容、あなたには少し刺激が強かったのかもしれないわね」と、優しく言ってくれた。
保健室から教室に戻った私に「優しく」声をかけてくれたクラスメイト
その後少し眠り、次に起きたときには昼休みになっていた。気分が少し良くなったため、迎えに来てくれた担任の先生と一緒に教室へ戻った。保健室から教室までの道のりは、気分がずしりと重かった。どんな顔でクラスメートの前に現れればいいのだろう。そんな不安でいっぱいだった。
戻った教室は昼休みということもあり、それほど多くクラスメイトは残っていなかった。友人たちは心配してくれたが、私の心を軽くしてくれたのは、その少しあとに私に話しかけてくれた一人の女の子だった。
「もしよかったら、一緒にお弁当食べない?」と声をかけてくれたその子は、同じクラスだったけれど、それまで挨拶をする程度で、あまり話したことがなかった。けれど、一緒にお弁当を食べるというさりげない気遣いが、嬉しかったのを覚えている。
机を向い合せにしながら、彼女は「私もああいう保健の授業苦手なんだ。それに、貧血持ちだから、少し気持ちわかるよ」と優しく言ってくれた。私はそのとき、自分だけじゃないんだ、と思えたことがとても心強かった。
彼女と私のあいだには「目に見えない絆」がしっかりあった
彼女とはそのあと、いっきに仲が良くなった。口に出して確認したことはないけれど、きっとお互い、貧血の症状などつらいことを共感しあえる仲間・同士に出逢えた、そんな気持ちだったんじゃないかと思う。私たちのあいだには、目に見えない絆がしっかりあった。
保健の授業中に失神したあの日、あの昼休み、もし彼女が私に声をかけてくれなかったら、私はもしかしたら、クラスで少し浮いた存在になっていたかもしれない。もちろん友達はいた。けれども、彼女たちにしてみれば、どうして私が失神したのかよくわからなかったと思う。
仲良くなった彼女とは、高校を卒業するまで同じクラスで、受験期もお互い励まし合って乗り越えた。晴れて大学生になってからも、別々の大学に進学したものの、一限の授業に出るために朝早く起きること、満員電車で通うことのつらさを分かち合った。
私にとって彼女は、単なる友達ではなく、戦友といえる。失神したことは、決して楽しい思い出ではない。けれども、彼女と仲良くなるきっかけとなったと思えば、私の心も少しは救われる。