私は、看護を学ぶ20歳の大学生だ。それを知った人はかなりの確率で「看護の勉強をしているの!じゃあ看護師になるの?」と聞く。
しかし、私はこの言葉が好きではなかった。というより、この言葉を言われて心がモヤッとする自分が好きではなかった。
夢や目標を表現するのが苦手で、質問に対して嫌悪感を持ってしまう
昔から体が弱く入院することが多く、気づいたら病院で働くお医者さん・看護師さんに憧れていた。時が経つにつれ、その憧れは私自身の過去とともに、私の進路選択に大きな影響を与えた。
高校3年生の夏、いよいよ進路の選択に迫られた私は、入院していた頃の気持ちと向き合うことになった。当時は、点滴の針を固定するテープによる痒み、針による痛み、そしてじっと休んでいる時間が苦痛だった。そして何より、“入院しないための生活”、“病気にならないための生活”が何より嫌だった。
周りの友達が楽しく遊んでいる中で一人それを見学すること、輪の中に入れない時間があることで、周りの話についていけないこと。それは私を“病気”から守ってくれていたのかもしれない。その代わり、私から“居場所”を確実に奪っていた。
そんなことを考えていたら、「人に寄り添い、居場所を作りたい」「心と体の健康を守りながら、人々が自分のいたい場所で暮らせるような手助けを、病院ではなく地域でしたい」という将来の夢が見つかった。そこで、夢を叶えるために一番学ぶべきことは看護学だと思い、進路選択をした。
だいぶ熱く自分のことを語ってしまった。ここまで読んでくださった方は「この子は自分のことを人に話すのが好きな子なのかな」なんて思ったかもしれない。
しかし実際は、夢や目標の類を表現するのがすごく苦手だ。胸に抱いた淡い恋心を誰かに打ち明ける時に抱く、不安や気恥ずかしさを感じてしまうのだ。「将来看護師になるの?」という言葉には、こういった思いを乗り越えて応えなければならない。だから、質問に対して一種の嫌悪感を抱いてしまう。
周りから否定されるんじゃないかと不安で、夢や目標を話せなかった
厄介なことに、「将来看護師になるの?」という質問にモヤっとしていた一番の理由は、自分の本来の性格からではない。“周りの人と違うことを恥ずかしく思っていた”からなのだ。
看護学部に入ると、とにかく“看護とは何か、看護師に必要なことは何か”がことあるごとに強調される。そういった環境の中で、周囲の友達は看護師・病院で働くことを目指し、一生懸命学んでいる。
しかし、私の夢・目標は違う。もしかしたら、一緒の空間で同じ内容を学んでいるのに、目指している方向が私だけ違うのかもしれない。抱いた違和感はどんどん膨れ上がっていったが、相談できなかった。誰かに話す際にはまず、頭の中で考えを整理する。その時必ず違和感と向き合わなければならない。
また、「周りから否定されるんじゃないか。わかってもらえないんじゃないか」という不安もつきまとう。とにかくそれが怖かった。向き合うくらいなら、違和感を誤魔化し、不安に思わない方がマシ。そう思っていた。だから、違和感を引っ張り出してくる「看護師になるの?」という言葉が、質問をしてくる人が、とてつもなく嫌だった。
しかし、そんな私の思いを変えてくれた出来事があった。大学のとある授業との出会いだ。その授業は、地域のブランドを高めるため、地域の課題を解決するというゼミだ。私の通う大学では、専門分野以外の授業を履修する必要があったため、地域というワードに惹かれ受けたものだ。
そこでは、“とにかく自分の考えを伝える力”が必要だった。私の最も苦手とするものが求められていたのだ。そして、その授業の中で、私に試練が訪れた。「なんでこの授業を受けたの?」といった趣旨のことをグループで話すことになったのだ。
さぁ、困った。嫌でも自分の思いと向き合わなければならない。観念した私は、「心と体の健康を守りながら、人々が自分のいたい場所で暮らせるような手助けを、地域でしたいと思ったから、地域について学べるこの授業を受けたんだよね…」と、正直に思いを告げた。
すると、「だから看護の勉強しているんだね!面白いね!」と言ってくれる人がいた。私はその時ふと「私の夢って、否定されるものじゃなくて、面白いものかもしれないんだ」と気付いた。その時まで私は、自分の夢を、“周りに誰も同じ夢を持つ人がいないから”という理由で恥ずかしがったり、周りに否定されるのではと不安がったりしていた。
しかし、それらの思いは私の中の違和感から生まれた魔物が、周囲に壁を作っていたのかもしれない。だったら、少し壁を解体して、自分の夢を覗かせてもいいのではないか、と思えるようになった。
自分にあった壁を少しずつ解体して、今では夢を話せるようになった
そこから私は、少しずつ周りに夢を話すようになり、周囲に相談して、看護の勉強をしながら、地域づくりについて専門的に学ぶプログラムでも活動し、夢に向かって前進している。そして、「看護師になるの?」という質問に対しても、次第に正直に自分の夢を答えることができるようになった。
かつての私のように、周囲と違うことで悩み、壁を作ってしまっている人がこの世界に何人いるのかはわからない。たくさんいるかもしれないし、ほとんどいないかもしれない。しかし、もし一人でもいるのなら、私はその人たちに寄り添っていきたい。
私の将来の夢は少し変わった。心と体の健康を守りながら、人々が自分のいたい場所で、“自分らしさを持って”暮らせるような手助けを、病院ではなく地域でしたい。そして、人に寄り添える人であり続けたい”。