中学生の時、雨が降ると祖父が学校に迎えに来てくれました。
学校までは、歩いて片道30分ほど。晴れた日は友達と楽しく帰ってくるのですが、傘をさしながら歩くのは嫌いでした。

自慢の車でお迎え。恥ずかしくも、くすぐったくて少し嬉しかった

「もう、また甘やかして」
母はいつもこう言っていましたが、孫に甘い祖父は必ず迎えに来てくれました。荷物が重いだろうから、制服が汚れるから、日が暮れるのが早いから。いろいろな理由で母をなだめ、迎えに来ていたようです。部活が終わると公衆電話で電話をします。

「じいちゃん、迎えお願い」
「はいはい。いつものところで待ってなさい」

校門の横で待っていると大体10分後に黒い車がやってきます。祖父の自慢の車でした。友達が、いいなぁ、と言って手を振ります。恥ずかしかったけれど、くすぐったくて少し嬉しかったものでした。
「お待たせしました、お嬢様。どうぞお乗りください」
祖父はこう言って私をからかうのが好きでした。

私の中の小さな決まり。悩みをはじめに打ち明けるならおじいちゃん

車に乗ったらおしゃべりの時間です。後部座席から、祖父の白髪頭にいろいろなことをしゃべりました。
勉強のこと、友達のこと、部活のこと。祖父はとても口の堅い人です。他の人に言えないことでも、祖父には言うことができました。悩みをはじめに打ち明けるならおじいちゃん、私の中の小さな決まりでした。
雨の日の暗い空と、車の中という小さな空間も秘密をしっかりと守ってくれそうで好きでした。反抗期の盛りだった私は、よく父や母に対する不満を言いました。今思い返すと、幼稚な悩みばかりだったと思います。
でも、当時の私の手には大きい悩みばかりでした。祖父は静かに聞いてくれました。話したから解決するというわけではなかったけれど受け止めてくれる祖父はなくてはならない存在でした。車に乗っている時間は、ほんの10分ほどでしたがその短い時間は不安定な私を支えてくれました。

「おじいちゃん、乗せてあげようか」と私が言うと、祖父は笑います

私が、大学に入学した年に祖父は運転免許を返納しました。少し不便にはなるけれど、事故を起こすのは怖いから、と自分から返納することを決めたそうです。
「49年間、無事故無違反だったよ」
誇らしげに言う祖父の声には、寂しさが混ざっていました。

県外の大学に入学した私は、実家を離れて一人暮らしを始めました。
雨が降っても、お迎えは来ません。バスに乗って家に帰ります。その日最後の講義が終わっても、すぐには家に帰れません。大学は少し辺鄙なところにあります。バスの本数は少ないので、ちょうどよい時間にバスに乗れることはほとんどありません。バス停でなかなか来ないバスを待っているとき、黒い車が通るとつい目で追ってしまいます。通り過ぎてゆく車を見ながら祖父のことを思い出します。
「お待たせしました、お嬢様」
祖父の気取った声が聞こえてくる気がします。

私は最近ようやく運転免許を取りました。不器用な私は、車の運転も下手で教習がなかなか終わらなかったのです。電話で報告すると、祖父は誰よりも喜んでくれました。
「おじいちゃん、乗せてあげようか」
「もっと安全運転ができるようになったらお願いします。気長に待っとくよ」
私が言うと祖父は笑います。祖父を乗せられる日は遠そうです。おじいちゃん、まだまだ元気でいてください。