「あの子」がいたから。そうすんなり言えるようになるまで、10年も掛かってしまった。長くて短い、一区切りの10年だった。

斜め左後ろの席の彼女。同じ部活に入りたかったけど勇気が出なかった

あの子との出会いは中学校の入学式だった。
私はその春、2年間の長いお受験勉強を経て、晴れて地元の私立女子校に入学した。体育館には見渡す限り、女子、女子あっち向いても女子、こっち向いても女子。公立の小学校で育った私には目眩がするような光景だった。

あの子は、私の斜め左後ろの席に座っていた。入学式を終えそわそわと浮き立つ教室内で、彼女の名前は最後に読み上げられた。36番、や行の名字は彼女ひとり。地元の小学校で小さい方に数えられる私より、更に一回り小さく見えた。

神様がじっくり考えて、気持ちのいい場所に目鼻口を置いた、そんな印象を受けた。自己紹介を終えて小さく微笑むと、形のいい前歯が覗く。いいな、なんだか。仲良くなれるかな。
緊張で未だ手が震える私は、担任の説明そっちのけで、斜め左後ろのことを考えていた。

仲良くなれるかな、と思ったのは私だけではなかったらしく、担任が一度教室を出て行くと既に仲良くなった子が彼女の机を取り囲んでいた。そこに割っていく勇気もなく、窓の外の桜を眺めるふりをして時折彼女を伺うしかできない。

何部に入るの、と聞きたかった。あわよくば、一緒の部活に入りたくて。結局、その勇気が出ないまま、あの子はバトミントン部に入ったと風の噂で聞いた。私は、体験入部に行ったその足で水泳部に入った。バドミントン部には入らなかった。上手くできる自信がなくて、失敗するところを見られたくなかったから。意気地なし、と心の中で自分を詰った。

ある日、教室の扉を開けると彼女がいて、声をかけてくれた

ゴールデンウィークを過ぎた頃、私は水泳部をやめていた。小さい頃に水泳が得意だったという単純な理由で入部した私は、大会を目指す部内で明らかに浮いていたから。
丁度その頃、演劇部に入部した友達に誘われて、入るか決めきれないまま、ぼんやり放課後を教室で過ごす日々が続いていた。自分のクラスは華道部に使われるので、他のクラスに入り込んでは本を読んで、入部届とにらめっこする。そんな時、「あの子」に会った。

5限終わりに自クラスの二つ隣の教室の引き戸を開けると、先客がいた。まだ肩のあたりが馴染んでいない、少し大きめの制服を着た「あの子」だった。入り口でほうけたつくしのようにぼうっと立っていると、彼女がこちらに気付き、声を掛けてきた。

手元には、真新しい数学の教科書とルーズリーフがある。
「課題なんてあったっけ。」
「あ、これ違うの。数学、好きで。いや、数学の先生と仲良くなりたくて、授業頑張ろうかなって。」
彼女は少し照れ臭そうに、手元のルーズリーフをかき集めて薄いファイルに仕舞った。この時ほど、数学に憧れたことはない。

「部活どう?私3回目で行くのやめちゃった。もう部活継続賞、貰えないの確定しちゃった」
何気ない風を装いながら、その実そわそわと落ち着かず、左胸の校章に触る。つるつる、丸い、次は何話そう。自然に、深呼吸よ。おどけた私の顔をじっと見て、彼女は微笑んだ。初めて見る、眉毛を頼りなく下げた笑みだった。

「私も、部活やめるの」
驚いた。あんなに楽しそうだったのに。どうして?
「なんだか、話が合わないみたいで。変って言われてはぶられちゃった。先輩も怖いし、バドミントンは、好きだけど。」
うつむいた彼女のつむじを見つめながら、なんて声を掛けたらいいかわからなかった。けれど、気づいたら言っていた。下手でも、励ましてから言えと今なら思う。演劇部、一緒に入らない?

同じ部活に入り、あだなで呼び合う仲に。でも私は絶交宣言をした

そうして私たちは、演劇部になった。いつしかあだ名で呼び合う仲になった。
中学二年生のクラスでも、私達は同じクラスになった。その頃には演劇部員の複数名とイツメン、なんてものもできて、私達は一緒にいるのが当たり前になった。休憩時間、お昼、放課後、たまに休日そして教室移動。ずっと一緒で、多分、一緒に過ごす時間が長過ぎた。

ある日の教室移動の時、思わず彼女に言ってしまった。理科室に向かう道すがら、
「一緒に居たくない、一人で行ってよ。」と言い放った。
なんでそんな事を彼女に言ったのか、理由はわからない。具体的な理由はなかったと思う。
当時の私の家庭事情は最悪で、生理がきたこともあり体の変化についていくことができず、とにかくイラついていた。その結果の、一方的な絶交宣言だった。

勝手な宣言をした後、後悔が波のように押し寄せたけれど、子供な私は仲直りしようの一言が言えず、溝は深まるばかりだった。あの子は他の子に囲まれているし、もう、無理かも。色々な感情がぐるぐると渦巻き、私の足は学校からどんどんと遠退いた。

学校に行けなくなったある日、担任から電話がかかってきた

学校に行けないまま、一週間が過ぎ、二週間が過ぎ…担任に理由を聞かれても答えられない。大人にとっては大した理由じゃないのはわかっていたから。三週間に突入しようという頃、再び担任から電話がかかってきた。

今日は、私以外に話したい子がいるの、代わるね。待ってという前に、受話器から声が聞こえた。もしもし。「あの子」だった。
元気にしてる?今日はドッヂボール大会があったよ。雨、すごいね。あのね、もし、もし…あの時の事を気にしてるなら、あの。気にしなくていいから。悩んでる事、聞いてあげられなくて、ごめんね。もっといっぱい、お互いに話そう。うん。うん。また明日ね。

喉が熱くて、声が震える。うん、ごめんね。また、明日。たったそれだけを返すのに永遠の時間がかかったような気がした。

あれから10年。晴々とた顔で話す大人になったあの子へ伝えたい想い

中学一年生で出会った私達は、今年で10年目の仲になる。「あの子」は今年の3月に無事大学を卒業し、新しい街で小学校の先生になる。得意科目は算数。中学の数学の教員免許はあいにく取得できなかったが、憧れの教員になれた、と晴々した顔で話す。

あの日、私に電話をくれた彼女。勇気がいったはずだ。あなたのおかげで、学校に再び行く気持ちになれた。「あなた」がいたから、今の私の学びがある。いつかあの電話のように、彼女を支えられる日が私にも来るだろうか。
もし、またお互いが迷う時があれば、いっぱい話そう。
ごめんね、そして、ありがとう。