大学に入ったばっかりの私はいろんな部活やサークルに顔を出していて、テニスサークルはその中の一つでした。初めてそのサークルに顔を出したとき、ある一人の先輩から「ガチャ」と名付けられました。
理由は単純で、テニスサークルの体験に行った時、私がガチャピンのTシャツを着てテニスをしていたからです。先輩のいじりや絡みが面白く、嬉しかったので私はサークルに行く時は必ずガチャピンのTシャツを着て行きました。

テニスサークルのムードメーカーの先輩にいじられるのが好きで

何故か先輩にいじられるのは好きでしたが、先輩自体は少し苦手でした。そして、その先輩に気に入られ、ずっと「ガチャ」と呼ばれるようになりました。
その先輩はテニスサークルのムードメーカーで、その人が毎回毎回、サークルに行くごとに「よぉ、ガチャ!!」と絡んできたり、私のいない飲み会で「ガチャ」について話すものだから、みんながわたしのことを「ガチャ」と呼ぶようになっていました。
私が知らない人が「ガチャ」の名前で私のことを知っていることはとても不思議な感覚です。時には、「あー、あの、例の!!ガチャピン!!」と言われ、「先輩よ、裏で何言ってんですか」と思う時もありました。だる絡みが凄すぎて対処に困ったこともありました。

初めの一年間くらいは違う部活を主体に動いていていたのですが、それまで主体としていた部で彼氏と別れ、その部に居づらくなった私は部を辞めてテニスサークルの活動によく行くようになりました。
それまで、テニスサークルではいわゆる幽霊部員状態だった私にとってはガチャというあだ名がみんなと馴染むきっかけにもなっていました。

上手に、面白くいじってくれるだけで笑ってくれるのがとても嬉しくて

私は取り立てて面白いわけではありません。笑わせるノリにもあまりついていけません。
なので、その人が上手に、面白くいじってくれるだけでみんなが笑ってくれるのがとても嬉しくて、いじってくれる先輩がとてもとてもありがたかったのです。
しかし、コロナが流行し、今年はサークルがほとんどなくなってしまい、サークルの人が集まれるのは少人数で行う宅飲みや何人かで真夜中に弾丸で行くドライブくらいとなってしまいました。先輩との宅飲みやドライブも沢山ありました。いろんな話をしました。
流石に宅飲みやドライブにはガチャピン以外の、つまりお出かけ用の普通の服で参加するので、私のサークル内でのアイデンティティであるガチャピンというあだ名はだんだん呼ばれなくなって、代わりに私の本当の名前が呼ばれるようになっていきました。
そんな中でも先輩は「ガチャ」と最後まで呼んでくれてました。

「ガチャへ」と書かれた手紙。笑いそうで、泣きそうな変な気持ちに

そんな先輩が今年大学を辞めました。
先輩が引っ越しでいらなくなったテレビを譲り受けましたが、リモコンだけは後日他の先輩からもらいました。手紙なんて柄じゃなさそうな先輩の文字で「ガチャへ」と書いてある手紙も一緒に。
「最初から俺のダル絡みに付き合ってくれてありがとうな。ガチャに楽しませてもらったよ。飲み会ではガチャに潰されるのかなー怖いなー。もっとドライブとか一緒にしたかったな。」
そして、「最後までガチャって呼んでごめんな。」と書かれていました。
そんなこと思ってたんですか。なんてツッコミを入れつつ、入学してからそれまでの先輩との思い出が蘇って、本当に何回も何回もガチャガチャガチャガチャ言われてたなーなんて笑いそうで、泣きそうな変な気持ちになりました。
この手紙は私が行けなかった後日あった飲み会で他のサークルの友達にも一人ずつ手紙が配られたらしいです。私はきっと先輩にとっては沢山いる後輩の一人です。でも、先輩は私にとってはサークルに居場所を与えてくれた大切な先輩の一人でした。最後まで少し苦手でしたが笑
今後先輩との関わりはきっとなくなっていくでしょう。でも、きっと先輩はずっとおちゃらけながら周りの人を巻き込んで楽しく生きるのでしょう。
私はそっと、先輩のインスタグラムに上がっていく面白い日常をたまに見て、そして元気を少し分けてもらおうと思います。

ちなみに私は今でもガチャピンTシャツを着てテニスをし、新しく入った後輩たちにはガチャ先輩と呼ばれています^_^