「自分の気持ちを相手にわかってもらうためには、わかってもらう努力しないとね」
バレエ教室の帰り、そのお姉さんは言いました。
バス停で並んだ足元。彼女のサンダルの指先はタコや豆で充血しています。
お姉さんは他の先輩方とは違い、外でわざとらしく外股で歩くことはしません。
Tシャツにジーンズ、なんの変哲もない格好にもかかわらず、彼女はキラキラしていました。
リレーの輪にも組体操の輪にも入れず見学。居場所はありませんでした
「お姉さんの言ってることはわかるの。でも私のお友達はみんな、私を気取っているとか特別扱いだと言って、相手にしてくれない」
俯いた私の頬を、解いたばかりの髪が撫でていきます。鼻腔をラベンダーのシャンプーの香りがくすぐりました。私の母はフランスから取り寄せた石鹸で、敏感な私の肌を守ろうとします。お陰で私は持病のアトピーを悪化させることなく成長しました。
しかし先日、私の級友は「あなた変な匂いする」と言って、囃し立てたのです。
私は俯いて唇を噛み締めました。
ただでさえ、バレエコンクールの本選が運動会の日と重なってしまい、運動会を休まないといけません。学校中が行事に向けて準備を進める中、リレーの輪にも組体操の輪にも入れず見学をする私に、居場所はありませんでした。
そんな出来事を気にも留めずにバレエに打ち込める友人もいます。
彼女たちは休み時間になると廊下の手すりでバーレッスンを始めたり、掃除の時間に箒を手に持ち踊り出したりするのです。彼女たちは皆いつも滑稽なほど外股で歩き、立つときもX脚を強調するようにつま先を外側に向けていました。
お姉さんは、私とも友人とも違っていました。
彼女はコンクール前でもプールの授業に参加するので、衣装から覗く背中には水着の紐の跡が白く浮き上がり、先生たちに「おてんばなオーロラ姫ね」と言われていたのです。
言葉の端々から彼女の真剣さを感じ、私は黙って頷きました
「特別扱い、されたがってるんだと思ってた」
お姉さんは軽い口調で、しかしはっきりとそう言いました。
交差点にバスがやってくるのが見えました。彼女が鞄から定期券を取り出すときに、隙間から学校の教科書が見えました。
「私は自分のこと特別扱いしたくない。踊れるのは、家族が応援してくれているからだけど、何よりも私がやりたいからやってることだもの。バレエは特別なことかもしれないけど、他を疎かにする理由にはならないでしょ」
お姉さんは、年下の私にわかりやすく説明しようと心がけますが、時折難しい言葉を使っていて、でもそんな言葉の端々から彼女の真剣さを感じ、私は黙って頷きました。
お姉さんはその翌年、国際コンクールでスカラシップを獲り、ヨーロッパに留学しました。今では彼女はプリンシパルになっています。流石にもう、背中に水着のばってんが浮き出ることは無いでしょう。
柔軟体操のコツを級友に伝授しただけで、仲直りできました
私はあの後、級友と仲直りしました。
きっかけは些細なことで、体育の時間に柔軟体操のコツを級友に伝授した、それだけでした。
級友は「バレエやってれば誰でも身体柔らかくなるの?」と聞き返し、私がお風呂上がりにストレッチをしていることを伝えると、「すごい」と目を丸くしました。
周りに級友たちが集まってきます。彼らのおしゃべりは止みません。見かねた先生はこう言いました。
「それなら彼女に組体操の監督をしてもらいましょう」
私はそうして学校行事に参加するようになったのです。
羽ばたきは力強い一方で、観客の頬を優しく撫でる繊細さがあります
お姉さんと私はそれきり会うことはありませんでした。
私はたまに彼女の所属カンパニーのプレスを調べて、彼女を探します。
お姉さんの華やかさの底にある強さは、スポットライトを取り込み、心の輝きを放ち続けていることでしょう。
鍛え上げられた背中には、見えない羽を動かせる筋肉が備わっています。その羽ばたきは力強い一方で、観客一人ひとりの頬を優しく撫でられる繊細さを備えているのです。こうして、数十年後も忘れられない人がいるように。
私はとっくにあの頃のお姉さんの歳を追い越していますが、それでもなお、あの子の背中を追いかけ続けているのです。