1年前に結婚した夫とは比較的うまくやっていると思う。けんかもするけど話し合いをして解決するし、家事も完全分担制。けれども、フェミニストを自認する私にとって、夫は保守的だなと思うことが多かった。
結婚時の姓選択で初めてぶつかった。妻の姓は現実的じゃない?
夫は高校から男子校に進学、そのまま理工系の大学・大学院に進学。男も家事はやらなくちゃいけない的な教えは受けているものの、根本的には平成初期の価値観を持ったままの人間だと思う。
そんな夫と私の考え方が初めてぶつかったのは、結婚時の姓選択だった。
夫は女性が男性側に合わせるのを当たり前だと思っていたらしく、妻の姓にすることを提案するも「いやいや~現実的じゃないでしょ」と笑って濁されていた。
最終的に私が折れて夫の姓を選択したが、納得できず問い詰めた結果、最終的に出てきた理由は「自分が妻の姓になると、周りになにかあったのかなと思われそうで、それは避けたい」。
はあ?周りの目?と思ったが、夫にとっては大きい問題だったようだ。実際に夫の周りには妻の姓を選択した男性に対して「なぜ妻の姓にしたのか、なにかあったのか」と聞く人はいたようで、嫌な思いをしたと言っていた知り合いもいたという。
周りの目なんて気にするなよ、と夫の気の弱さにむかつきつつも、社会の「男性(女性)とはかくあるべき論」の根深さを感じた。いい加減、下手な屁理屈やめて選択的夫婦別姓制度を導入すればいいのに。時代にそぐわない同姓強制をやめたところで、誰が困るというのか。
蔓延する男性優位性を認知しだした夫。誰かを傷つける発言をする前に
それならば彼に変わってもらうしかない。これまでの価値観を、彼には自分の力でアップデートしてもらわなければならない。そうでないと、今度は夫が周りに「男性(女性)とはかくあるべき論」と押し付ける側になってしまう。私はテレビや記事などで自分が感じた違和感を都度言葉にして伝えてきた。
最近そのかいもあってか、本人も巷に蔓延する男性優位性を認知しだしたようだ。
夫が好きなバラエティ番組で、水着の女の子が3人出てくる、いかにもオジサンが考えそうな企画があったらしい。オジサン芸人が、女の子の名前ではなく着ている水着の色で呼び、あれこれと指示をする姿に、これまでだったら笑っていただけだったところが、「あれ、これはちょっと良くないんじゃないか」と気になり始めたとのことだった。
私はやっと気づいてくれたか!と嬉しくなったが、本人はこれまでの自分の価値観を自分で否定したような気がしてショックだったらしい。
ただこれまで何の違和感も覚えてこなかった夫には、バラエティ番組や日常社会で普通に使われる言葉でも、嫌な気持ちになる人がいるということを認知してほしい、と思っている。
夫が誰かを傷つけるような発言をしてしまう前に。
自分の父親たちが憎らしい。父親が普段から育児するイメージがない
さて、次のハードルは、育休取得ミッションである。
会社としては男性の育休取得を(少なくとも表向きは)奨励していて、やっと半年、1年単位で取得する人が出始めたところだ。
ただ本人は「育児は自分もやりたい」と言っているにもかかわらず、育休は取らないの?と聞くと「自分が産むわけじゃないのに休む必要ってある?」「今の仕事は休めないから、育休はとれて2週間」「少ないっていうけど、何カ月取ってほしいの?」「実家に帰ればいいんじゃない?」と育児をなめた発言が飛び出してくる始末。
最終的には「自分が育休をとったところで、自分が仕事に復帰したら妻が1人で育児するんだから、その落差に逆に大変になっちゃうんじゃない?」と。
毎度、宇宙人と話している気分になる。
そんなこと言うやつとの子供は作れない、と伝えている(実際ピルを飲んでるので、できちゃうことはない)。
私は一緒に育てたい。一緒に試行錯誤しながら、同じ時間を共有して、子供を育てていきたい。
育休の取得有無や期間が問題なのではない。子供を育てることに対する「当事者意識」に差があることが問題なのだ。
最近残業が減ったから育児にも関与できるというのが夫の主張だが、平日の帰宅は9時を過ぎるし、次の日夫が仕事なら夜泣きの対応は私になるし、休日だけ育児したところで1週間のうちたったの2日だし、そんなのイクメンなだけで父親ではないぞ、と思う。
私だって家の事やっているより外で働く方が好きなのだ。でも子供も欲しい。イクメンではなく父親がいないと、我が家は回らないのだ。
こんなとき、ほぼほぼ育児に参加してこなかった自分たちの父親たちが憎らしい。父親たちなりに一生懸命だったことは理解するが、平日も夜遅くまで、時に休日出勤していた父親しか見ていなかったから、父親が普段から育児するというイメージが夫にも(私にも)ないのだ。この悪の循環は私たちの世代で断ち切らなければならないと思う。
それでも私はこの人と生きていくと決めたので、これからも話し合って、ぶつかって、仲直りして、またぶつかって、そうやって生きていくんだろうと思っている。
2人が幸せに生きていくための議論は今日も続く。
さて、今日はどんな手法で議論に挑もうか。