私には今でも憧れている友達がいる。
その子の名前は『かりんちゃん』といった。
名前も可愛いが、名前に負けじとハーフのような顔立ちダンスを習っていたり、ピアノが弾けたり、運動も得意と、できることが多く、学年の中でも目立つ子だった。

勝手に悪い印象を抱いていたあの子。実際に話すとイメージは変わった

小学校、中学校が一緒だったが、深く関わるようになったのは中学一年生から、初めて同じクラスになってからだった。
もちろん小学校でも目立っていたので、勝手に存在は知っていた。
しかし、本当に勝手な話だが、いい印象ではなかった。

これは後々関わるようになってからわかったことだったが、かりんちゃんはいろんなことを達観している子だった。
それもあってか、先生方とも仲が良かった。

多感な女の子というのは本当に怖いもので、どんなことが悪口の引き金になるのかわからない。
かりんちゃんはあっという間にその恰好の的となっていた。
「あの子は先生たちから贔屓されている」
そうやって学年の一部の女の子たちから囁かれていた。
私が勝手に悪い印象を抱いていたのはそれが理由である。
あっという間にその噂をそのまま鵜呑みにした。
私は私でものすごく子供だったのだ。かりんちゃんに比べたら。

そんなかりんちゃんと同じクラスになった私。
同じグループにはいなかったが、思っていたイメージとかけ離れ、サバサバと思ったことを言ってくれるかりんちゃんを、私はあっという間に好きになった。
同じ小学校の子たちと離れて初めて過ごす中学校生活の中で、少し安心する存在だった。ということにも違いなかった。
中学生というのは慌ただしいもので、その次の年にはクラス替えがあった。
そして、かりんちゃんとは違うクラスになってしまったのである。

いじめを受けたことで訪れた転機。あの子から1通の手紙が届いた

そんな中、私の人生にいろんな意味での転機が訪れる。
中学2年生のときに受けたいじめ。
大人数のグループにいた私は、『一部の子に内緒で話した話があった』という理由で
そのグループから外された時期があった。
すごく辛い日々を過ごす中で助けてくれた一人がかりんちゃんだった。
クラスが違う私に一通のお手紙を書いて渡しに来てくれた。
そこにはこう書かれていた。

「いつでも正しいことを正しいとハッキリ言える、あなたのそういうところがすごく好きだ」

この言葉には何度助けてもらったかわからない。
学生生活を終えた今でも、この言葉に救われることがあるし、少なくとも、人生の中でも辛い時期だったあのときの私は、間違いなく彼女のおかげで持ち直すことができたのだった。

休み時間にも気にせず遊びにおいでと、違うクラスだった私を受け入れてくれたかりんちゃん。
私の話を聞いては「あなたは間違っていないから下を向くことは何もない」と、いつも言い聞かせてくれた。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか私への無視は無くなっていった。
中学校時代の女子社会なんてそんなものだった。

あの子のおかげで、辛そうにしている人を見付けたときは、助けたいと思う

今考えればかりんちゃんは、辛い思いをすでにたくさんしてきていたに違いなかった。
まったく話したことがない私にも届き、印象に影響まで与えていたかりんちゃんの噂話が、
本人の耳に届いていないはずがなかった。
でも彼女は、いつでもカラッと笑っている人だった。

私はその出来事からずーっと思っていることがある。
美しく、かっこいい女性というのはかりんちゃんのような人だということ。
私もそういう自立している女性であろうということ。
噂話ではなく、自分の見たその人のことを信じること。
女性社会というものの脆さと、当てにしてはいけないのだということ。
辛そうにしている人を見付けたときは、助けること。かりんちゃんのように。

辛いことが目の前に現れると、自分の正しいと思っていたことが本当は間違っているのではないかと、不安に陥ることがよくある。
それは子供だった私にも、少し大きくなった私にも言えることだ。
そんなときは、カラっと笑い、照れるほど真っ直ぐ私を見る彼女の
「私はいつでも正しいことを正しいとハッキリ言える、あなたのそういうところがすごく好きだ」
この言葉をこれから先も思い出すのだろうと思う。