「やぎちゃん」は、歴代の職場での私の愛称だ。同期はもちろん、上司や役職についている人もそう呼ぶ。もちろん現在の職場でも「やぎちゃん」と呼ばれている。
 見た目や雰囲気、声質や話し方などから、愛でたいという人間の欲求を掻き立ててしまうのかもしれない。人が道に迷った時、真っ先に声をかけられるのはそのせいなのだろうか。

昔からクラスのリーダー的存在で、いわゆる陽キャだった

わたし自身といえば小学生からクラスのリーダー的存在で、中学ではバスケ部のキャプテンや児童会長も経験した。高校時代は福祉局の局長を務めた。きっとわたしはこの世界に誕生した頃から、俗にいう陽キャだったのだろう。
日本の北に位置する小さな町で生まれ育ったわたしは、高校に進学する頃には地元の高校が廃校になった。地方ではよくある話だ。
産まれた病院が同じであれば、保育園、小学校、中学校までほぼ顔触れの変わらない小さな小さな集団で過ごした。いつの間にか仲良し四人組が結成され、わたしの青春時代は彼女達との思い出ばかりが光っている。ひとクラス十名前後で構成され、全校生徒が百名に届かない程の田舎町だった。年頃になる頃にはそんな環境に飽き飽きしており、逸脱した先輩の噂話を聞いては雲の上、遥か上の存在だと感じていた。
中学までは優秀だったため、地元を離れ進学校へ通った。ここで私のターニングポイントがやって来た。小さな世界が急に大きくなったことで、わたしの心は乱れた。
地元では走ることのない電車やバス、人の多さや歩くスピード。また、圧倒的に犯罪の数が違った。

ずっと優等生で愛されたわたしは、愛されることに貪欲な人間に

わたしは毎日欠かさずノートが埋まるまで日記を書いては、自分を見つめた。思春期だった。わたしのクラスは特に問題児が多く、不幸なことにクラス替えがなかった。その中でもわたしは割とうまく生きた。クラスの子がわたしを見ては『癒されるー』といい、抱きしめた。人生で初めて経験する妹キャラだった。
しかし、悪くはなかった。むしろホームシックが長く続いたため、居心地が良かった。わたしはそのまま流れに身を任せ、あっという間に高校生活が終わった。女子校の女子寮生活で培われた、女性と共存する方法は未だにわたしの宝だ。長期休みは寮が閉まるので地元に帰省した。そのたびに仲良し四人組で集まり、将来の夢を夜な夜な語り合ってはみんなと人生の定規のメモリを合わせた。
わたしは幼い頃から成熟していた。大人がはなす言葉の意味や話の内容がよく分かったし、空気を読むということも自然とできた。そのため、手のかからない子だったと母はいつまでも自慢げに話す。
わたしはずっと優等生だった。良い子でいると愛された。それはもう、みんなから愛された。その体験があるが故に、わたしは愛されることに貪欲な人間になった。そう、わたしはこの先もずっと人に愛されたいと願っているのだ。

「やぎちゃん」に頼ってしまうわたしはもう、「やぎちゃん」なのかも

そのためには、どんな職場にも必ず在籍する、いわば御局さんの機嫌を取ることだっていとわない。わたしのようなタイプは嫌でも御局さんの目に留まる。人から嫌われることをわたし自身が許さないので、社会に出てからの挫折がまずそれだった。
こちらに非があったのかもしれないが、やはり人間の心を持つ上では仕方ないで片付けられないことがあることを学んだ。
また、パートナーから愛される経験のひとつひとつも、わたしの「愛されたい欲」をより一層強めた。そんな誰からも愛されるわたしで居続けることが、わたしの人生の意味だとさえ思っているのだ。
過去のわたしに想いを巡らせた今、ふと思う。
「やぎちゃん」でいることと、わたしでいること。どちらもわたしであることには変わらない。ただ、わたしだけが知っていればいい。わたしはわたしだ。
そうは言いつつも孤独を感じた時、わたしは結局「やぎちゃん」に頼ってしまう。わたしはもう、「やぎちゃん」なのかもしれない。