春の野草が花を咲かせる季節になりました。お久しぶりです。数年前、君にラブレターをもらったお姉さんです。覚えていますか?

名前を読んで駆け寄ってきてくれた君には弱さを気づかれたくなかった

あのころ君は、私の働いていた社会教育系の施設に、よく遊びに来てくれていましたね。お家の方と一緒に来る子どもが多い中、一人で来ていたので、目を引きました。
私も両親が共働きで、小学生時代は一人で近所の図書館や、公民館の子ども向け科学教室に行くのが楽しみでした。だから、勝手に自己投影しているところも、あったのかもしれません。

君はたしか小学校3年生で、学校で新しく始まった理科の授業が面白いと言っていましたね。君の質問に答えたり、君が発見したことを聞いたりするのは、本当に楽しい時間でした。
もっとかわいい職員も、知識のある職員もいたのに、君はなぜか、美人でも賢いわけでもない私を気に入っていて、いつも名前を呼んで駆け寄ってきてくれましたね。

ある日、投稿物の締切と、担当企画の準備と、報告書が重なってしまい、同僚が「今日はお休みって、言おうか?」と提案してくれたことがあります。時間と実績が欲しくて堪らなかったあの時の私には、ちょっと魅力的な言葉でした。それでも、とうとう一度も居留守を使わなかったのは、私の弱さに気付いた君に、幻滅されるのが怖かったからだと思います。

今だから言えることですが、当時の私は、仕事でとても悩んでいました。徹夜しても作業が終わらない。望んだ成果が出ない。職場の人と上手くコミュニケーションがとれない。そんな悩みから、「仕事辞めたい」「ここから逃げたい」「消えたい」と何度も考えました。
上司に「この仕事向いていないんじゃない?」「お前なんかと働きたいやつはいない」と言われ、トイレで泣いたこともあります。

泣きはらして真っ赤になった眼で、花粉症だと言い訳した私は、どんなふうに見えていたのでしょう。君は素直な子だったから、花粉症だと信じて疑わなかったかもしれません。
一方で、君は聡い子だったから、様子がおかしいことに気づいた上で、普段通りに話しかけてくれたのかもしれませんね。

渡してくれたラブレター。書かれていたのは「だいすき」の文字

そんな君が、もじもじしながらラブレターをくれたこと、よく覚えています。
キャラクターも柄もない、なんとなく小学生らしからぬ無地のレターセット。ピンク色とオレンジ色の間の、綺麗な色をした封筒でした。
「だいすき」という文字を読んで、胸がきゅっとなりました。

あれから、4年が経ちました。気づけば君はもう、とっくに中学生。昔のラブレターのことなんて、忘れてしまったかもしれません。仮に覚えていても、消し去りたい、恥ずかしい記憶なのではないでしょうか。
だって、逆の立場で考えたら、そうでしょう。自分が小学生のころに気まぐれで書いた手紙を、どこかのオジサンが大事に保存している。想像したら、なかなか、キモチワルイ。
安心してください。この手紙が届くことはありませんし、また会いたいとは思いませんので。

君がいたから私は誰かの悩みに寄り添える人になりたいと思った

結局私は、自分の弱さに向き合えず、異動希望を出してあの施設を去りました。
苦しい出来事もたくさんあったけれど、君が嬉しそうに、不思議に思ったこと、気づいたことを話してくれた思い出は、私の誇りです。

今は、上司に気に入られることも、報告書を早く仕上げることも、まぁ大事なのですが、そんなに大事でもなかった、と考えています。称賛される実績がなくても、君みたいに何か興味のあることに出会える人がほんの数人現れたら、それで十分なのかもしれません。

恋愛感情とも、家族愛とも違う、この気持ちは一体何と呼ぶのでしょうか。恋心なら、振り向いてほしいと願うでしょう。親心なら、成長をそばで見守りたいと思うでしょう。私は、君がすっかり忘れても、もう一生会うことがなくても、全く構いません。
ただ、いつか君がしてくれたように、悩みを抱えた人に笑顔で寄り添える人になりたい、いろんなことを知る楽しさを伝えられる人になりたい、と思います。

君がいたから、こんな私でも誰かに「だいすき」と言ってもらえることを知りました。
君がいたから、自分の仕事にやりがいと使命を見つけることができました。
君がいたから、今も生きています。

あの時、伝えられなかったけれど。
私も、君がだいすきです。