「すきに理由なんてないよ」とあるかぼちゃプリンが美味しい喫茶店から始まった僕らの物語。
僕がその言葉の意味を知った数日後、僕は彼女に別れを告げていた。
一緒にすきなものに感動して笑い合うのに「理由」はいらなかった
僕らが過ごした物語は、全米が涙するような情熱的なドラマでもなければ、ジェットコースターのように揺さぶられるエキサイティングショーでもない。ただ、どこにでもある、なんというか、いわゆる“ふつうの恋愛”というやつだ。
交代制で顔を出す太陽と月を見送りながら「おはよう」と「おやすみ」を交わし合い、気づいたら季節の境目もなくなっていて、ただ年に1度は「こないだ来た気がするのにね」って、あの喫茶店で期間限定のかぼちゃプリンを食べる。何てことない物語だ。
かぼちゃプリンを食べ比べたこともないのに「ここのかぼちゃプリンが1番美味しいよね」「ね、食べたことない人は人生損してるよ!」なんて笑って、そこに理由はいらなかった。僕と君が決めたのであれば、そのかぼちゃプリンは間違いなく世界で1番美味しいかぼちゃプリンだった。
「ふたりで住んだほうが生活費も安いし」と、大学を卒業したタイミングでもっともらしい理由をつけて始めた同棲生活。
ソファの脇に放られた通勤バッグも、いつも少しだけ残っているすっぱいコーヒーも、コードが絡まったままのドライヤーも、君のきらいなところを冗談半分で数えては、そんな君との日常がたまらなく愛おしかった。
朝は5分おきにアラームを鳴らして起きるところ、だらしない寝相や、苦手なにんじんは僕のお皿に容赦なく移してくるところ、お風呂あがりに綺麗に消えてしまう眉毛も、僕だけが知っている君という大切な宝物だった。
そんな何てことない日常が、君と僕であるという証だったのだ。
君のことが「すき」なのに、僕らは少しずつ背を向けた
いつからだろうか、僕らが笑いながら「きらい」を言い合わなくなったのは。
僕が仕事で遅くに帰っても顔色ひとつ変えない君。僕が趣味でYoutubeにあげる『歌ってみた』に、真っ先にグッドボタンを押してくれる君。僕がすきなアニメのガチャポンを回して「どっちでしょうーーー??」と両手をグーにして僕に差し出してくる君。
すきだ。確かに君のことがすきだ。目を細めて優しく笑うところも、生姜焼きが最高に美味しく作れるところも、コンビニの店員さんにお礼を言うところも。
これだけ君のすきなところを数えられるのに、干されたお揃いのピンクとブルーのパジャマは元気がなくて、2本並んだ歯ブラシも背中を向けて立っていた。
「あの頃」の僕らに会いに、かぼちゃプリンを食べに行った
落としものを捜すように、僕は一人でかぼちゃプリンを食べに喫茶店に足を運んだ。
美味しかった。少し焦げたほろ苦いソースと、かぼちゃのとろりとした食感のバランスが絶妙だっだ。でも、このかぼちゃプリンは世界1ではないのかもしれない。僕には目の前のプリンが世界1である理由が必要で、そこに理由がないこともわかっていたのだ。
すきだった。そして、きらいだった。僕と君の物語は、確かに愛おしかった。
その年から、僕らはかぼちゃプリンを食べに行かなくなった。