本当はこんなことを文字に起こしてしまうと、事実を認めてしまうようで悲しいのだけれど、「ふんぎり」をつけるために書こうと思う。
同じサークルの男友達。彼の言葉はまっすぐで、前向きになれた
私には、サークル内にある男友達がいた。
当時、別で好きな子がいた私は、その男友達に恋愛相談をしていた。
親友と好きな人が被ってしまい、苦しい想いをしていた。
その話をすると、
「自分に素直になりなよ」
と彼は言い、背中を押してくれた。
結局その好きな人は諦めることになったが、その後も、相談していた男友達とよく二人でご飯を食べるようになった。
他愛のない話だけでなく、お互いの人生や進路、価値観など、深い話もできるような仲になった。
中二病チックだが、私はよく、「生きる意味」を探してしまう。
人間はみんな死んでしまうのに、今生きている意味なんてあるのかなぁ、だからと言って、今すぐにでも死にたい、と言うわけではないのだけれど。
でも、それを考え始めると何もする気もなくなって、ご飯を作ったり課題をしたりするのが億劫になって、部屋の隅で動けなくなってしまう。
そういう話をすると、
「意味って必要なの?考え始めたら考えるだけで人生終わっちゃうよ。何事も、その時々で楽しいかどうかじゃないのかな」
と彼は言った。
意味を探す前に、どんなこともとりあえずやってみよう、と前に進むことができた。
将来に不安を感じた私に彼は、「あなたはダメじゃない」と言ってくれた
私は、教員志望で、大学に通っているが、本当に学校の先生になりたいのか、いつもよくわかっていなかった。
将来に不安を感じているのにまだ何も行動を起こせていない、口先ばっかりの自分なんてダメな人間だ、と思っていた。
そういう話をすると、
「何がダメなの?ダメだと思うところ、言ってみ?ね、言えないでしょう、あなたはダメじゃないんだよ」
と、彼は言い、私を認めてくれた。
彼がいたから、私は私自身のことを認めて、私を好きになることができた。
そこから私は、自分の将来についてもっと前向きに考えるようになった。
せっかく教員になるのなら、日本の教育を変えるような、すごい奴になろう、どこから来るのかもわからぬ自信が湧いてきた。
日本の教育のこの部分を変えたい、というのはあるのだけれど、そのために、今、何をすればいいのかわからない。
そういう話をすると、
「大学のこの教授、あなたとやりたいことが似てるよね。話、聞いてみれば」
と、彼は言った。
勇気が出た。
大学教授と個人面談する、なんて、思いつきもしなかったけれど、教授と話をし、今の自分がどんなことをすればいいのか、将来どんなことをしたいのか、少しずつだけど見えてきた。
段々と惹かれ合った私たち。でも、付き合って1週間で訪れた別れ
しばらくそんな話をするうちに、私は彼に惹かれていったと思う。
彼も彼で、好きだから付き合ってほしい、と私に言った。
もちろん、私は、いいよ、と言った。
でも、付き合って一週間も立たずに、私はふられてしまった。
彼にとって、彼の「好き」は、人間としての好きなのか、恋愛対象としての好きなのかがわからず、しばらく悩んでいたらしい。
一度付き合ってみたはいいけれど、やっぱり友達の関係の方がいい、そうとなれば、今の関係を長引かせれば長引かせるほど、傷つくのは私だから。
もちろん、友達としては仲良くしたい、だけど、今も、この先もずっと、恋愛対象としては見れないと思うから、もう好きにはならないで。
というのが理由だった。
私は、泣いた。
「とりあえず、ふんぎりをつけて」
と言った電話越しの彼も、泣いていた。
ふんぎりなんてつけてやらないと思うけど…彼への感謝が浮かんでくる
この出来事が、このエッセイを書く3日前の出来事だから、どう「ふんぎり」をつけたらいいのか、まだちょっとわからない。
彼は料理好きだったので、湯気のたつ食事を目の前にしては泣き、あたたかい春の日差しを見て、季節と心が反比例していることに泣き、ふんぎりなんてつけられない。
一生つけてやらない。
今まで彼の言葉を素直に受けとめて、糧にしていた私だったけど、今回の言葉は絶対に理解してやらない。
そう心に決めた。
つもりだった。でも、自分に素直になること、自分を認めること、とりあえず前に進むこと、行動を起こすこと、いろいろ気づかせてくれたのが彼の言葉で、この恋の終わりを新たな始まりへ導くのも、彼の言葉である。
それがまた悔しくてたまらないのだけれど。
あの人がいたから、きっと私は、あの人への恋も終わるのだと思う。
あの人がいたから、きっと私は、これから新たな始まりを進めるのだと思う。
恋愛だけでなく、私の将来やこの先の人生についても。
だから今、彼に伝えたいのは、ありがとう。
この一言に尽きると思う。