「それがお互いのためだと思うんだよね」

唐突の別れ話に怒りを覚えたのは、
べつに振られたことが原因ではない。

なぜ昼下がりの浅草、それも、
「かつや」のロースカツ定食を頬張っているときに、口の中が脂質と糖質で溶け込みあった、まさに、
幸せ絶頂のこの瞬間に、そのハナシを持ち出してくるのか。

わたしにはオトコの言動が理解出来なかった。

付き合って三ヶ月。
出会いはマッチングアプリで、
好きな音楽は「ハンバートハンバート」、
好きな映画は「人生フルーツ」、
サプライズが苦手です。
と書かれた自己PRを一読しただけで、
「悪い人ではない」と感知した私の嗅覚は正しかったと思う。

「どこ行きたい?」「何食べたい?」と聞けば
「あそこにしよう」と
貧弱な風格からは予想だにしない彼の俊敏な決断力に恋。
「ベイクドチーズケーキとムースオショコラ、どっちにしよう」と悩む私に「両方頼めば?」と柴犬の目で優しく血糖値の上昇に背中を押してくれる懐の深さは愛。

彼こそが「ハンバートハンバートのファンに悪い人はいない」という実証結果だと思っていた。

なのに、「たぶん、僕と君とでは根本的な価値観が違うんだと思う」という彼の誠実な価値観に反いてた真実はフラれることよりも傷が深い。

「悲しい」と「おいしい」は両立させてはいけない

三週間、三ヶ月、三年。三の付く日は離職率が高い、なんて話は聞くけど、それは恋愛にも当てはまることなのだろうか。
店内に響き渡る揚げ油の弾ける音が、不覚にも失恋ソングに聞こえることに腹が立つ。

沈黙をもみ消すように最後の一切れに箸を伸ばす。
サクッと歯切れのよい衣と柔らかい弾力のある脂身が絶妙で、とんかつはやはり一番右端に限ると思った。

「悲しい」と「おいしい」は両立させてはいけない。
ねぇ、
別れ話を持ちかける際は予兆を出して欲しい。

そしたらこっちだって、防備体制は整えてたし、
間違ってもランチにカツ屋なんて選択はしなかった。

そんな不満を最後の一口に飲み込んで、
「今までありがとう」ご馳走様。

満腹な胃袋と、まだ物足りぬ恋心を抱えて私たちは店を出た。

胸が締め付けられるような痛みは、恋の終わりか胸やけか

「タイミング間違えてたね」

「でもどこかで話さないといけないと思ってた、ごめん」と、彼は私の歩く歩幅に合わせて最後に自責の念を込めた。

「じゃあ、僕はこっちだから」と歩き出した方向に、「いや、私も同じ銀座線使うんだけど」と内心思いながらも彼に背を向け、予定のない浅草寺に向かい歩き始めた。

この、胸が締め付けられるような痛みは恋の終わりか、はたまた胸焼けか。
そんな問いに答えてくれる彼はもういない。
サプライズが苦手です。
そう言った彼は、人生史上初のサプライズで私を驚愕させたことをどう思うんだろう。

浅草寺の本堂に参り、礼拝する。
「今年もまたいい人に巡り会えますように。」