私の26年間の人生を年表にしてみると、15歳が大きなターニングポイントとなったと思う。志望していた公立高校に落ちて、滑り止めの女子高への入学が決まったから。これをきっかけに女性社会での道のりが開いた。
女子高、女子大、アパレルのバイト、就職先はキャスターの仕事。私のこれまでの人生を語るうえでは必須な女性社会。
女性のリーダーの下での仕事も何度も経験した。和気あいあいの時もあれば、時には指導をすることもある。その時に感じた、「必要以上にきつく言いすぎじゃない?」
(※もちろん、全ての女性管理職を一概にそのように言うつもりは有りません。あくまで私の経験で感じた、と言うだけです。) 

高校、大学、アルバイトと女性社会で生きてきた

15歳のターニングポイント、志望していた公立高校のかわいい緑色のブレザーを着ることはかなわなかった。本当に残念だったが、女子校は、とても良い環境だった。
女の子しかいないからこそ、みんなで力を合わせて何でもやった。人任せにするんじゃなくて、自分の意見をどんどん言えるようになったのも、この環境のおかげだと思う。学生時代の思い出は、いつも友だちと全力でふざけ合っていて、高校・大学ともに最高な友だちが出来た。
文化祭のために全力で準備したこと、授業中にふざけ合ったこと、何気ない帰り道、あの頃は当たり前だったけど、今はその当たり前が恋しくてたまらない。

大学生の頃は、アルバイトをしていた。冒頭にも書いた通り、アパレルの販売員のバイトを選んだ。理由は単純に通いやすくて、たまたま求人広告を見つけたから。売り場は、レディースのみを扱っていたため、店員は全員女性。ここもまた女性社会だった。
初めてのアルバイトで、たくさんのことを教えてもらった。接客の仕方、レジの打ち方、初めてお金を稼ぐということの大変さと楽しさ。結局大学生活の4年間このバイトを続けた。

詰められている彼女を見て、「そこまで言わなくてもいいのでは」と思った

学校とは違う、初めてのアルバイトでの社会経験。何とか慣れてきて楽しく働いていた時のことだ。

新人の社員が入ってきた。彼女は、接客よりも在庫整理や裏方の作業を得意としていた。そのためか、あまり売り上げの成績が良くなく、店長に接客態度を指導されることもしばしば。閉店となったあと、みんなで売り場を掃除している時に、彼女を叱咤する声が響く。
なぜ出来ないのか、どうしてやる気がでないのか、とことん詰められている姿を見ると「そこまで言わなくてもいいのでは」と思ってしまうくらいだった。結局彼女は結婚をきっかけに退職してしまった。

その小さな違和感は、いずれ私の身にも降りかかることとなった。

なぜ出来なかったのか、1時間近く、泣くまで責め立てられた日もある

私も大学を卒業し、本格的な社会人デビューをした時だった。
憧れていたキャスターの仕事に就いた。ここももちろん女性だらけの部署。上司も女性だった。取材に原稿執筆、キャスター業務、新しいことの連続に、毎日いっぱいいっぱいだった。
もちろん、上手くいかないことも多い日々だった。そうしたミスを起こしてしまうと、上司からの叱咤が待っていた。アパレルのバイトの頃に見ていたあの光景が自分に降りかかってきたようだった。それの100倍くらいの威力で。

なぜ出来なかったのか、なんでミスしたのか、時には1時間近く、泣くまで責め立てられた日もある。その時のミスから、以前ミスしたこと、私の日々の態度への不満などなど、どんどん話が過去に坂上り、どんどん気が滅入ってくる。もちろんこれは、許される指導の仕方ではない。ただ、アパレルバイトの時の経験と、社会人になってからの経験。なんで彼女たちの指導はここまできついんだろう?

失敗やミスをして、会社に大きな損害を出してしまったときは、それ相応の対処が必要だ。それはよくわかる。なぜ発生してしまって、次に防ぐにはどうしたらいいのか。ここをしっかり考えないとまた繰り返し発生してしまうから。
でも、人間は必ずミスをするもので、すべてを完璧にこなせる人はいない。
それに、ミスをした時って、自分が一番辛い。なんでできなかったんだろう、なんでこうしていなかったんだろう。自問自答を繰り返して、ぎりぎりの精神状態の中、上司の指導が心に刺さる。
「もうそこまで言わなくても自分が一番わかっています」なんて言えないし、その言葉をひたすら聞いて、またひどく落ち込む。その繰り返しだった。

そんな環境下だったこともあり、転職をした。

一人のミスを一人の責任としない会社と社員の考え方に感動した

新しい会社はどちらかというと男性の割合の方が多い会社だった。初めて男性の上司の下で働いた。ここでも、最初はミスをすることもあったが、指導の仕方が全然違った。周りのサポート状況や繰り返しミスを起こさない方法をみんなで考えた。一人のミスを一人の責任としない会社と社員の考え方に感動した。

キャスターをしていた時の上司は、指導の時こそひどい言葉を投げかけてくるが、通常時はとても物静かで優しい人だった。相談事には親身に聞いてくれたし、体調を崩している時には融通してくれることもあった。指導している時の言葉や態度とは別人のようにも見えた。

なぜここまできつい指導となるのだろうか。指導が行き届いていないと思われてしまうことへの懸念、女性だからとなめられてしまわないように、なのだろうか。それとも自分が同じ指導を受けてきたからなのか、そういう性格だからなのか。一概に述べることは出来なさそうだ。

私が変えたいのは、必要以上にきつくなっちゃう女性たちだけど

ありがたいことに、女性が社会で活躍するのが割と当たり前で、トップの座に女性が就くこともよく見る光景となっている。人の上に立つ立場となった時、女性が自分らしく、自分らしい性格で働ける環境に変わってほしい。
上司なのだから、先輩なのだから、厳しく指導をしなければならない。必要以上にそう思わせる、そんな呪縛がなくなってほしい。

女性が女性らしさを持つのではなく、女性も男性も、みんなが自分らしく。そうすれば、もっと気持ちよく仕事が出来そう。私も、今後誰かの上に立つ日が来たら、私らしい言葉と考えを持って指導できるようになりたいと思う。

だから、私が変えたいのは、必要以上にきつくなっちゃう女性たち。でも根本にあるのは、男性主体のリーダー像が残っている社会の環境だ。「上司とはこうであるべき」という呪縛から解放される社会を私たちミレニアル世代から作っていこう。