疲れたなぁ。 なんだか体が重いし、仕事休みたいなぁ…というあなたに読んでもらいたい。
いつも心に喫茶店を。 これは、つい最近考えついたスローガンである。
人はそれぞれ違うから、自分が疲れたと思えば疲れているのだ
日々に忙殺され、休みの日も頭の中が仕事に支配されてしまっては、心身ともに疲弊してしまう。 たとえブラック企業でなくても、キャパシティや体力は各々違うのだから、自分が疲れたと思えば疲れているのだ。
「そんなことくらいで弱音を吐いては」 「○○はもっと大変だよ」 こういった言葉は、弱った心に追い討ちをかける。
結論から言うと、比べようがないのだ。 だって、みんな違う人間だから。 休むことも仕事のうちだと考える。 身体にまで影響が出てきたら、“休みたい”というサインだから無視してはいけない。 自分のことは自分でしか守れないのに、周りの目を気にして休むことができないようでは、一体自分はどうなってしまうのか。
一度、立ち止まりたいなぁ。 私はそう思うことがよくある。 目の前の仕事をがむしゃらに片付けて、次の休みの日を待つ……といったことを繰り返していたら、肌はニキビだらけになるし、肩が凝って寝違えて噛み合わせが悪くなり、挙げ句の果てに頬の内側を噛みまくり潰瘍みたいなものができてしまった(歯医者で診てもらえるか疑問だったが、口腔外科とも書いてあったので大丈夫かと思い駆け込んだ。先生には「かなり噛んだねぇ」と感心されてしまった)。
落ち込んでは鼓舞して立ち上がり、また落ち込んでを繰り返す日々…
最近の私ときたら、もうダメダメだった。失敗が続いて自分に嫌気がさして、いやそれでも頑張ろうと気合を入れなおして、でもやっぱりうまくいかなくて……。つらいのは今だけ。いつか努力が報われる日が来る。タイミングが悪かっただけ。失敗は誰にでもある。慣れの問題だ。慣れれば、もっと楽に出来るようになる。
落ち込んでは自分を鼓舞して立ち上がり、また落ち込んでは自分を鼓舞して立ち上がる……。正直、毎日何やってるんだろうなぁと思った。私の出来なさには、周囲も呆れているだろうと苦笑する。
部屋のカレンダーにふと目をやると、先月のまま止まっていた。 現実の時は進んでいても、自分の時は止まっていたのだ。
体調悪いし、本でも読もうかなぁと、布団周りに無造作に置かれた積読に手を伸ばす。 学生時代はあんなに読んでいた本も、働き始めてからはただ買うばかりで全然読めていない。布団周りは、読みかけの本だらけになっていた。
本は手元で広げるだけで「違う世界」に連れて行ってくれる偉大なもの
本を読みはじめると、ぐいぐい引き込まれていった。 現実は何も変わっていないのに、どこか別の世界に来たような、そんな錯覚を覚える。手元で広げるだけで、違う世界に連れて行ってくれるなんて本は偉大だ。私を連れ出してくれるのって、王子様じゃなくて本なんじゃない? と思ってしまう。
胃の調子さえ悪くなければ、コーヒーも一緒に淹れるのに。 私にとってコーヒーは、本の世界に誘う飲み物だった。 コーヒーの香りも好きだし、ほどよい苦味と温かさが身に染み渡る。 本が王子様ならコーヒーは白馬だなと、ばかげたことを考える。
私にとっての理想郷とは、喫茶店なのかもしれないとふと思う。 薄暗い明かり、店内に満たされているコーヒーの香り、手元で広げる文庫本。 特に急ぎの用事もなく、好きなだけ過ごせる安心感。 ただ、目の前の本だけに向き合える時間。
自分のための時間を持つということは、こういうことなのだと思う。 日々を丁寧に生きたいと思っても、現実の時間は時に自分のキャパシティを超えて流れてしまう時がある。 だからこそ、いつも心に喫茶店を持って、自分を見つめ直す時間が必要だと私は思うのだ。